改訂新版 世界大百科事典 「東南アジア映画」の意味・わかりやすい解説
東南アジア映画 (とうなんアジアえいが)
〈東南アジア映画〉という総括的な概念と呼称が正式に生まれたのは,1954年に東京で第1回東南アジア映画祭が開催されたときからである。その主催団体は東南アジア映画製作者連盟で,日本,台湾,香港,インドネシア,フィリピン,マレーシア・シンガポール(71年からシンガポールが分離独立して2ヵ国になる),タイ,韓国,南ベトナムの映画団体で構成され,アジア地域における映画産業の振興を目的とする上記の映画祭を,加盟国の持回りで開催することになった。その後,インド,オーストラリア,ニュージーランド,クウェートが加盟(一時北ベトナム,カンボジアも加盟したこともあったが,75年からベトナム,カンボジアとも戦火のため不参加となる),1984年現在では,加盟国は13,名称もアジア映画祭となっている。ロジャー・マンベル編《世界映画百科》の〈アジア映画〉には,インド映画と日本映画と中国映画を別にすれば,スリランカとパキスタンと香港がもっとも興味深い映画を生み出しているという評価があるが,世界の映画市場に出ているのは84年までのところ香港映画だけである。82年には,日本にも国際交流基金主催の南アジア映画祭で,スリランカ映画《ジャングルの村》(1980,レスター・ジェームズ・ピーリス監督),《川のほとり》(1980,スミトラ・ピーリス監督)が初めて紹介された。また,その後も中国映画祭,韓国映画祭などの形で〈新しいアジア映画〉が活況を呈し,注目を集めてきている。しかし,日本のクロサワ,インドのサタジット・レイに次ぐ,国際的レベルにおけるアジア映画の巨匠はまだ生まれていないのが現状である。
執筆者:広岡 勉
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報