大路村(読み)おおろむら

日本歴史地名大系 「大路村」の解説

大路村
おおろむら

[現在地名]佐田町大呂おおろ

東は原田はらだ村、南は波多はた(現掛合町)、西は神門かんど吉野よしの村・高津屋たかつや村。北流する波多川が東部を貫流し、南端羽幸大はこうだい(七二七メートル)を最高峰として起伏に富んだ山地が多い。集落川上かわかみ上組かみぐみ・下組・東山中ひがしやまなか、西山中(御幡・大山)で構成される。初め松江藩領、のち広瀬藩領となる(雲陽大数録)正保国絵図に村名がみえる。寛文一〇年(一六七〇)検地帳では高七〇一石余。

大路村
おおじむら

[現在地名]木津町大字木津町きづまち 内垣外うちがいと西垣外にしがいと殿城とのしろ南垣外みなみがいと、大字木津 南垣外

木津川南岸にあって、南西は小寺こでら村、南は千童子せんどうじ村、南東南川みなみかわ村、東はえだ村。集落は古代の作り道といわれる大路(古北陸道、のちの奈良街道)両側と大路の西の大和街道両側付近に位置する。村南端から西に向かう大坂街道は当地辺りでは相楽さがなか道ともいわれ、相楽村に通じ、村中央部から東進する伊賀方面への道は鹿背山かせやま村へ至る。木津郷の一。木津大路村ともいう。

山城名跡巡行志」は「木津庄別村」の一つに「大路西」を記し、また「西大路」の名も記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報