日本歴史地名大系 「東小物座町・西小物座町」の解説 東小物座町・西小物座町ひがしこものざちよう・にしこものざちよう 京都市:東山区粟田口村東小物座町・西小物座町東山区白川橋東入九丁目・東入八丁目北側粟田口(あわたぐち)の東端に位置。西は杓子屋(しやくしや)の辻子(ずし)。西小物座町は三条通北側、東小物座町は三条通の両側に位置する。承応二年(一六五三)新改洛陽並洛外之図に「こものさ丁」と出る。次いで寛文二年(一六六二)新板平安城東西南北町並洛外之図は二町にわたり「こものさ丁」と記し、後の東・西二町の形成を暗示する。両図とも更にその東に「神明前丁」と記すが、名称及び記入の位置から、後の東小物座町の東南半分をさすと思われるが、事情は分明でない。なお、東小物座町・西小物座町ともに南禅(なんぜん)寺領で、京都御役所向大概覚書に、「粟田口南禅寺領 弐町」とあるのが、これにあたる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by