東明神村(読み)ひがしみようじんむら

日本歴史地名大系 「東明神村」の解説

東明神村
ひがしみようじんむら

[現在地名]久万町東明神

明神村の分村。三坂みさか峠を登りつめた上浮穴郡の入口にあたる。明神の地名は「菅生山縁起」の古木の洞内から十一面観音像を発見したという猟師明神左京(右京とも)・隼人兄弟にちなむもので、「予陽塵芥集」には「明神村は此人の住し処とぞ」という。

慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)浮穴郡の項に「東明神村 日損所、林山有、野山有」と記されているから、早く東西に分村したものとみられる。寛保元年(一七四一)頃の「久万山手鑑」によると田畑八一町二反二畝、うち田五五町八畝で、水田率六八パーセント、久万山くまやまでは田の多い村に属する。「名智本久万山手鑑」にはその後の新田増加一町一反九畝一五歩、明和三年(一七六六)六畝二二歩、および「新田三町七反壱畝、明和七寅年御代官増田武太夫殿御改ニ付出来、但御高御免定相成不申ニ付年々御見分の上見取」と三回の加筆がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報