明神村(読み)あきのかみむら

日本歴史地名大系 「明神村」の解説

明神村
あきのかみむら

[現在地名]鳴門市瀬戸町明神せとちようあきのかみ

阿讃あさん山脈東端にあり、北東は小鳴門海峡に面する。対岸は高島たかしま村。西は中山なかやま谷の北部を含み、北部は東流する明神あけのかみ川沿いに平野が開ける。南東黒崎くろさき村から小鳴門海峡沿いに北に進み、明神川を西にさかのぼって櫛木くしき村に達する北灘きたなだ道、小鳴門海峡沿いに北へ直進して堂浦どうのうらに至る道と明神あきのかみ渡で高島村に至る道があった。古くは「安芸神」と記されたという(阿波志)。「鳴門辺集」には、慶長年中(一五九六―一六一五)堂浦の内で塩浜に築立てられ成立したとある。だが正保国絵図には「才田之内 明神村」とあり、高は記されない。寛文四年(一六六四)の在々古田出目并新田高帳でも斎田さいた村の枝村として村名がみえる。


明神村
みようじんむら

[現在地名]今市市明神

中央を南流するなめ川の左岸にあり、北は室瀬むろぜ村、西は長畑ながはた村。都賀つが郡に属する。東端を壬生みぶ通が北上し、北東端で十石じつこく坂を越え室瀬村に入る。東側二〇間余・西側二三間余の並木が続く(宿村大概帳)。日光山往古社領六十六郷のうちに明神郷があり、恵乗坊領(日光山常行三昧堂新造大過去帳)。応永二六年(一四一九)五月九日の慶守書下状(輪王寺文書)によれば、河成となった府所ふどころ(現鹿沼市)が負担していた常行堂供米・衣服料のうち不足分の三貫六〇文分を明神郷の年貢から出すよう恵乗坊に命じられた。


明神村
みようじんむら

[現在地名]堀之内町明神

田河たがわ川上流の村。最奥上稲倉かみいなぐらから下流へ下稲倉・明神・田代たしろ田中たなか沢口さわぐち日影ひかげの七集落からなる。堀之内村から田河川沿いに通る道は三坂みさか峠越で十日町(現十日町市)方面に通じる。正保国絵図に村名がみえ、高七四石余、ほかに日影村高八七石余、下稲倉村高一八石余、上稲倉村高二四石余がみえる。天和三年(一六八三)検地帳(堀之内町史)では田一四町二反余・畑六町四反余。畑のうち切替畑は八反余。青苧畑九反余・楮畑二反余がある。ほかに同所新田があり、反別合計は五反余。宝暦五年(一七五五)の新田検地帳(同書)では、反別合計二町八反余を検出。「新編会津風土記」では家数は五、田代八・沢口八・田中三・日影一〇・下稲倉七・上稲倉九。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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