東根城跡(読み)ひがしねじようあと

日本歴史地名大系 「東根城跡」の解説

東根城跡
ひがしねじようあと

[現在地名]東根市東根

みだれ川扇状地北東部、白水しろみず川・日塔につとう川の河岸段丘が南に舌状に張出す要害の地にあり、北と東の広い沼地を防御に取入れて築かれたと思われる。小田島おだしま城ともいわれる。南北朝時代の正平二年(一三四七)小田島長義が初めて城を築いたと伝え、長義は同年の若宮八幡神社の神璽筥銘や、同一一年の梵鐘銘(薬師寺蔵)にその名が残る。小田島氏はその後北方に去ったといわれる。応永二年(一三九五)天童城主里見(天童)頼直の四男里見頼高が館主となり、里見氏は天正(一五七三―九二)頃まで七代続いたという。

正保城絵図(内閣文庫蔵)によると、本丸は南側に門が二つあり高さ一間半の石垣が、西・北・東側は高さ一間半の土塁があり、北東隅・北西隅・南東隅には櫓が構築され、北東隅のものは二層。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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