東田町(読み)ひがしだまち

日本歴史地名大系 「東田町」の解説

東田町
ひがしだまち

[現在地名]中区新栄しんさかえ一―三丁目、東区東桜ひがしさくら二丁目

名古屋新田のうち東田とよばれていたところに寛永年間(一六二四―四四)より家並が建続き、町名を東田町とした(金鱗九十九之塵)。慶長年中(一五九六―一六一五)町屋になったとする説(府城志)もある。当町内には駿河御門前するがごもんぜん流川ながれがわ秀南横しゆうなんよこ町・御亭下おちんした鉄砲横てつぽうよこ町・白山横はくさんよこ町・車道くるまみち筋が属し、名古屋新田、名古屋村(現北区・西区・中区)古井こい(現千種区・東区)の地が交接し、万松ばんしよう寺領・天王てんのう坊領・相応そうおう寺領・高岳こうがく院領もこの中にかかる(同書)


東田町
ひがしだまち

[現在地名]萩市大字東田町

西田にしだ町の東に続く。町の東から南へ屈曲して新堀しんぼり川が流れ、南の唐樋からひ町との間にみゆき橋が架かる。御成道は当町の東寄りで南折する。

宝暦元年(一七五一)の萩大絵図別冊文書によれば、町の長さ四六四間余、家数一九〇、うち本軒三八、店借一四九、貸家三でほかに蔵三〇ヵ所があった。明治一八年(一八八五)の「山口県地誌稿」では町の幅東西三町七間五尺、南北一町四八間。

幸橋の近くに、当町支配の高札場があり唐樋札場とよばれた。


東田町
ひがしだまち

[現在地名]富山市泉町いずみちよう一―二丁目・向川原町むこうがわらまち

向川原町の南端付近から東方にかけて位置。田地方のうち。安政元年(一八五四)の富山城下絵図(県立図書館蔵)は、向川原町南端から東に延びる筋に「タマチ」と記し、東端は近藤石見下屋敷に突き当る。この筋の南側に並行する筋にも「タマチ」とある。安永八年(一七七九)には東田町として本家数三八・貸家数三一で、二丁目まであった(「町方旧記抜書」前田家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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