東福寺跡(読み)とうふくじあと

日本歴史地名大系 「東福寺跡」の解説

東福寺跡
とうふくじあと

[現在地名]甲佐町白旗

山出やまいでにあり、天台宗で山号は白旗山本尊阿弥陀如来であった。建長三年(一二五一)九月二三日の甲佐社領実検帳写(阿蘇家文書)に「東福寺免一丁五反」とあり、応永一一年(一四〇四)の肥後郡浦庄地検帳(同文書)に「山田二坪六段東福寺免」とみえる。かつてこの辺一帯に栄えた寺院で寺の敷地は約三反七畝、寺領は数町歩に及んだという。


東福寺跡
とうふくじあと

[現在地名]水俣市古城一丁目

近世に陳内じんない村東部にあった臨済宗の寺で、水俣城跡の東側にある陣内じんない阿蘇神社の西側が寺跡といわれ、寺僧墓石と井戸跡がわずかに残る。「国誌」に「禅済家京妙心寺末寺古迹ト云ヘトモ年代等不分明、及退転処ニ万治三年府ノ禅定寺住僧再興シテ末寺トス、後ニ住職間断ニ因テ八代郡釈迦院禅瑞支配ノ末寺トナル、同院天台ニ復スルノ日暫ク立田泰勝寺支配タリ、元禄十一年再ヒ妙心寺末寺ニ属ス、年貢地也、伝云、征西将軍八代御在居ノ時、本郷家久ニ命シテ水俣ニ五山ヲ建ル、東福寺ハ其一也、南福寺ハ廃シテ村名トナリ、西福寺ハ洗切村ノ内廃迹ノ一堂ニ本尊観音ヲ安ス、北福寺ハ早栗村ノ辺廃迹ノ山阿ニ一樹ノ大松アリ、中央ノ寺号寺地不分明」とあり、また「島津伊勢守春忠墓 東福寺境内ニアリ」ともある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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