日本神話で初代天皇とされる
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信仰の内容は火山神と地域祖霊社の合体したものである。火山信仰の初見は、七世紀前期に唐の魏徴が編纂した「隋書」倭国伝に「有阿蘇山、其石無故火起接天、俗以為異、因行祷祭」とみえ、阿蘇山の噴火を異変として、山麓の住民が祭祀を行っていることを示し、遣隋使から伝聞したのであろう。次いで、「釈日本紀」引用の「筑紫風土記」は次のように述べる。
「日本書紀」の注釈書である「釈日本紀」は鎌倉末期の卜部兼方の著作だが、この記事は奈良時代の「風土記」によると判定されており、八世紀の阿蘇火山信仰の対象が明らかにされているとみてよい。すなわち阿蘇神宮とは、頂上の水をたたえた火口湖(霊沼)で、さらにはこの霊沼を有し、四郡にまたがり、群川の源を生んでいる中岳をさすというのである。したがって火口湖・火山を神とする日頃の信仰があり、噴火は神の意志が表される異常な事態として受けとめられていたということができよう。「日本書紀」景行天皇紀に、天皇が阿蘇に至り、広漠として人跡がないため、人はいるかといったところ、阿蘇都彦・阿蘇都媛の二神が顕現したという話があり、これは阿蘇の地名由来説話として重視されてきた。しかし二神が夫婦の形で現れていることは、生産・生育を象徴するもので、また「人なきか」という外部政治勢力の進出に対抗して、先住権・領有権を主張しているのであるから、この夫婦神は阿蘇の地の開発神・土地神として理解されるべきである。これら二神は土地とともに、そこに生活する人間集団を生んだ祖神であるという、地域共同社会の側の説話に結びつくといえよう。景行天皇の事績は四世紀前半とされ、神話・伝承のなかにあるが、「書紀」の成立は八世紀前半で、阿蘇都彦・阿蘇都媛の説話は八世紀以前に成立していたとみてよい。
多摩川左岸の崖上に鎮座する。旧村社。祭神は建磐竜命・阿蘇都媛命・速瓶玉命で、ほかに九座の配祀がある。社記によると、推古天皇九年(六〇一)の創建と伝える。一説に承平年間(九三一―九三八)平将門が造営したとも、将門を討った藤原秀郷が再興したともいう。当社周辺からは古瓦などの出土も多く、昭和八年(一九三三)の社殿改修の折には鎌倉時代の文様瓦などが発掘されている。羽村以西の多摩川上流域は鎌倉時代以降
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
熊本県阿蘇市の旧一の宮町に鎮座。健磐竜(たけいわたつ)命を主神とする十二神をまつる。式内社,肥後国の一宮,旧官幣大社。《隋書》倭国伝には,阿蘇山噴火と禱祭の記事があり,《日本後紀》は噴火と神霊池の奇瑞の異変をもって,託宣神としての霊威を朝廷が重視していることを示している。この火口神健磐竜命が阿蘇地域の農業共同体の祖神と合体して,阿蘇火口原の開拓神としての性格を兼ね,現一の宮の地に社地が設定されて,十二神の神系とその祭祀が整えられていったとみられる。この社殿を下宮と称し,《延喜式》の肥後国式内社の4座のうち,大神1座,小神2座までが阿蘇社の祭神で占められている。従来の火口は上宮とされて,後には天台系の最栄読師(とくし)にはじまる僧侶たちの寺坊が発生し(古坊中(ふるぼうちゆう)),祈禱・練行が行われるようになった。社殿は宮地四面8丁四方の神域の中に,1335年(建武2)の絵図では,左の健磐竜命の一宮と,右の阿蘇比咩(あそひめ)神の二宮の両本殿を中心に,三・五・九神合祀の社殿が一宮の左方に,四・六・八・十神合祀の社殿が二宮の右方に並び,十一神と十二神はその両端にカギ形に向き合って正面楼門に続く回廊とつながっている。後代には日本有名22社をまつる諸神社殿もこれに加えられている。中世の祠官は,大宮司の下に社家21人,神人(じにん)15人をはじめ巫,伶人などがおり,社家は﨟次(ろうじ)制の十二宮の祝(はふり)の山部氏12人と,権大宮司以下の世襲各氏の権官9人より成る。神宮寺は青竜寺で,社殿奉仕の供僧は,一和尚以下6人の殿上供僧と,同丸以下9人の九坊に分かれ,彼らは阿蘇山上宮(古坊中)の衆徒(しゆと),行者らの僧徒集団とは別のものであった。
奈良・平安時代には,律令国家による封戸と神田によって,阿蘇社の祭祀・造営はまかなわれていたが,平安中期より律令制が衰退すると,阿蘇郡の神田・封戸の荘園化,大宮司の荘官化によって本社の維持がはかられ,また,国内の有力社である益城郡の甲佐社,託麻郡の健軍社,宇土郡の郡浦社を末社として勢力の拡大をはかった。中世には大宮司は武士化し,南北朝期以来,神領の聖俗を支配する封建領主化して祭祀の実務から遠ざかった。近世に至り,阿蘇氏は再び神主として阿蘇社の地に移り,火口より麓の黒川に移った坊中の諸坊と併せて,1000石前後の知行を加藤・細川の両大名から与えられて存続した。
おもな神事は,室町期の《阿蘇社年中神事次第写》によれば,踏歌節会(とうかのせちえ)(1月,以下旧暦),下野(しもの)の狩り,田作りの祭(2月),風逐(かぜおい)の祭(4月),御田植(おんだうえ)の祭(6月),駒取の祭(12月)など,農耕神事,官社としての神事,狩猟神事,火山神・牧場神の神事など多彩であるが,第一の大祭は御田植の祭(7月28日)で,現在,県重要無形文化財に指定されている。そのほか,本社社家内部の年禰(としね)の神の祭や末社霜宮の火焚(ひたき)の神事なども有名である。また《阿蘇文書》は中世史料として著名である。
→阿蘇氏 →阿蘇山[信仰]
執筆者:阿蘇品 保夫
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熊本県阿蘇市一の宮町宮地(いちのみやまちみやじ)に鎮座。阿蘇十二神、すなわち一宮健磐竜命(たけいわたつのみこと)、二宮阿蘇都比咩(あそつひめ)命、三宮国竜神(くにたつのかみ)、四宮比咩御子(ひめみこ)神、五宮彦御子(ひこみこ)神、六宮若比咩(わかひめ)神、七宮新彦(にいひこ)神、八宮新比咩(にいひめ)神、九宮若彦(わかひこ)神、十宮弥比咩(やひめ)神、十一宮速瓶玉(はやみかたま)命、十二宮金凝(かなこり)神を祀(まつ)り、さらに別殿に『延喜式(えんぎしき)』に記す全国3132座の神を祀る。一宮健磐竜命は神武(じんむ)天皇の子神八井耳(かんやいみみ)命の子、二宮阿蘇都比咩命はその妃(きさき)で、そのほかはすべてその血縁関係にあたる。社伝によれば、健磐竜命は神武天皇の特命を受けて九州鎮護の任にあたり、当時大湖水であった阿蘇火口湖を開いて美田を開発し、住民に農耕の道、畜産の法を教えたといい、その子速瓶玉命によって孝霊(こうれい)天皇の代に祀られたのが本社の創建という。古来朝廷の崇敬厚く、859年(貞観1)に正二位、延喜の制で名神大社とされ、1017年(寛仁1)、後一条(ごいちじょう)天皇のとき一代一度の大奉幣(だいほうべい)にあずかる。肥後国(熊本県)一宮。広大な社領をもち、中世にも武将に崇敬され、南北朝の争乱期に大宮司家が活躍したが、豊臣(とよとみ)秀吉により社領を没収され、往時の勢いは衰えた。1914年(大正3)に官幣大社となる。創建以来、祭神の子孫阿蘇大宮司が奉仕し現在に至っている。
祭礼には、例祭7月28日の御田植(おたうえ)神幸式(おんだ祭)、3月の田作(たづくり)祭、9月の田の実神事などがあり、古来の特殊神事をよく伝えている。これらは、「阿蘇の農耕祭事」として国の重要無形民俗文化財に指定されている。
なお、2007年には、神殿や楼門などの社殿(2016年の熊本地震で倒壊したが、復旧工事が進んでいる)が国の重要文化財に指定された。
[鎌田純一]
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