日本歴史地名大系 「東福村」の解説
東福村
とうふくむら
慶長九年(一六〇四)の楯縫郡西郷村御検地帳では屋敷方は本郷と西分に分けて記載され、耕地も同様に本郷と西分に区分できる。反別は本郷八九町余・西分三〇町余で、名請百姓八〇人のうち本郷が六〇人、西分は二〇人。すでに本郷と西分は分村の兆しがうかがえるが、のちに本郷が当村に、西分が西々郷村にと村切りがなされたと考えられる。しかし、その後の郷村帳・国絵図の類では西郷村の村名はみえず、替わって
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報