改訂新版 世界大百科事典 「東路軍」の意味・わかりやすい解説
東路軍 (とうろぐん)
1281年(弘安4)の弘安の役時に,江南軍とともに日本に遠征した元軍。蒙古人,漢人,高麗人によって構成され,4万人の軍勢のほか,梢工(しようこう)(船乗り),水手(かこ)(梶取り)1万7000人が900艘の艦船に分乗した。一行は同年5月3日高麗の合浦(がつぽ)を出発し,対馬(つしま)を侵し,壱岐(いき)に上陸した。当初は6月15日に壱岐で江南軍と合流する予定であったが,合流をまたず,一部は長門国を侵し,主力は6月6日博多湾の志賀島(しかのしま),能古島(のこのしま)の海上に姿をあらわした。同夜半から日本軍との間で激しい戦闘が続いたが,石築地(いしついじ)や日本軍の奮戦のために上陸できず,壱岐に引き返した。日本の御家人たちは壱岐に渡り,これを攻撃した。7月にはいって出発が遅れた江南軍と平戸島付近で合流し,博多湾に攻め入るため7月27日に鷹島に移った。ところが,同30日夜から激しい暴風に見舞われ,翌閏7月1日には江南軍ともどもほぼ潰滅した。その後,日本軍による残敵掃討が続いた。
→モンゴル襲来
執筆者:佐伯 弘次
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