能古島(読み)ノコノシマ

デジタル大辞泉 「能古島」の意味・読み・例文・類語

のこ‐の‐しま【能古島】

福岡県西部、博多湾内中央にある台地状の島。福岡市西区に属する。面積約4平方キロメートル、周囲12キロメートル、最高点195メートル。夏、キャンプ場海水浴場としてにぎわう。奈良時代防人さきもりが置かれた。作家だん一雄がこの島で晩年を過ごした。残島。

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日本歴史地名大系 「能古島」の解説

能古島
のこのしま

博多湾の中央部に浮ぶ島。東西約二キロ、南北約三・五キロ、周囲九キロで、面積三・九五平方キロ。島内最高地点は標高一九五メートル。島の北に也良やら岬がある。中世以降は早良さわら郡に属するとされるが、「朝野群載」所載の寛仁三年(一〇一九)四月一六日大宰府解では「那珂郡能古島」とする。天平三年(七三一)七月五日の日付をもつ住吉大社司解(住吉大社蔵/平安遺文一〇)には「能護嶋」とみえ、那珂なか郡住吉荒魂社(現博多区)御厨であったとされている。

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改訂新版 世界大百科事典 「能古島」の意味・わかりやすい解説

能古島 (のこのしま)

福岡県北西部,博多湾に浮かぶ島。福岡市西区に属する。残島とも書き,古くは能許島,乃古島とも書かれた。周囲約8km。面積4km2。基盤の古生層の上を古第三紀層,さらに上部を玄武岩がおおい,最高点は195mで,台地状を呈する。北端也良岬(やらのさき)。古代には防人(さきもり)がおかれ,《万葉集》巻十六に載る歌に,〈沖つ鳥鴨とふ船の還り来(こ)ば也良の崎守早く告げこそ〉とある。また台地上には〈能古島牛牧〉があった。13世紀には元寇の古戦場となり,江戸時代は福岡藩の馬牧,鹿の狩場がおかれ,南部の北浦や江ノ口などは廻船業で栄えた。第2次大戦中から開拓され,野菜栽培が行われる。島からは志賀島,海ノ中道,福岡市街などをのぞみ,玄海国定公園に含まれる。のこのしまアイランドパーク,海水浴場などもあり,市内からの行楽客も多い。対岸姪浜(めいのはま)からは渡船で15分。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「能古島」の意味・わかりやすい解説

能古島
のこのしま

残島,能巨島,乃古島とも書く。福岡県北西部,博多湾に浮ぶ島。最高点は 195m。福岡市西区に属する。玄武岩から成り,台地状の形状を示す。北端の也良 (やら) 岬には防人 (さきもり) がおかれた。江戸時代はウマが飼育され,中心地区の江ノ口 (えのくち) は米,陶磁器を大坂,北陸方面に送る廻船業で栄えた。現在は野菜栽培と漁業が主産業で,東岸の北浦,大泊は海水浴場,キャンプ場,アイランドパークなどがあり,観光施設も多い。玄海国定公園に属する。市営渡船がある。面積 3.93km2。人口 853 (1996) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「能古島」の意味・わかりやすい解説

能古島
のこのしま

福岡県北西部、福岡市西区に属し博多湾(はかたわん)にある島。残島とも書き、古くは「能許」「能巨」「乃古」とも書かれた。古生層の上を古第三紀層と玄武岩が覆う台地状の島で、最高点は195メートル、面積は3.72平方キロメートル。台地上は古くから牧場として利用され、福岡藩藩政期は馬の牧場や鹿(しか)の猟場であったが、第二次世界大戦中からは野菜、ナシ、ブドウなどの園芸農業が行われている。中心は江ノ口(えのくち)で江戸時代には廻船(かいせん)業で栄えたが、現在は漁業のほか、市内への通勤者も多い。玄海(げんかい)国定公園に含まれ、眺望に恵まれており、釣り、海水浴、キャンプ客が多い。姪浜(めいのはま)から市営渡し船が約10分で通じる。人口805(2000)。

[石黒正紀]


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事典・日本の観光資源 「能古島」の解説

能古島

(福岡県福岡市西区)
福岡県文化百選 名勝・景観編」指定の観光名所。

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