日本歴史地名大系 「東長野村」の解説 東長野村ひがしながのむら 山口県:豊浦郡豊田町東長野村[現在地名]豊田町大字東長野豊(とよ)ヶ岳の西北麓で、北から南にかけて木屋(こや)川が流れる。北は木屋川を境に手洗(たらい)村、東は高山(たかやま)村、南は東中山(ひがしなかやま)村(現菊川町)に接し、西は木屋川を境に西長野(にしながの)村・城戸(きど)村に対する。長府藩領で豊浦郡豊田筋に属す。慶長一五年(一六一〇)の検地帳は城戸・長野・江良(えら)の合石で九〇〇石余を記す。西市町(にしいちまち)紅粉屋家の正保四年(一六四七)の文書に「西東共ニ長野」とみえるのが早い。 東長野村ひがしながのむら 秋田県:仙北郡中仙町東長野村[現在地名]中仙町豊川(とよかわ) 東長野玉(たま)川東方の平坦地にあり、南を斉内(さいない)川が西流し国見(くにみ)村(現太田町)と接し、東は米沢新田(よねざわしんでん)村、西は館郷(たてのごう)村、北は長楽寺(ちようらくじ)村、谷地乙森(やちおともり)村と接する。正保四年(一六四七)の出羽一国絵図に長野の内東長野村とあり、高の記載がない。元禄一五年(一七〇二)の出羽国秋田領変地其外相改候目録(県立秋田図書館蔵)には正保の絵図に無高としたが元禄の絵図には改めて記載したという。享保一四年(一七二九)の黒印高帳(秋田県庁蔵)の本田高は三五九石余、本田並・新田高は七二石余、当高の合計は三七八石余である。「六郡郡邑記」には二五軒で、支郷は持正四軒、谷地中(やちなか)二軒、坂野上(さかのうえ)六軒、瀬川(せがわ)一軒の各村であった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by