松井庄五郎(読み)マツイ ショウゴロウ

20世紀日本人名事典 「松井庄五郎」の解説

松井 庄五郎
マツイ ショウゴロウ

明治〜昭和期の融和運動大和同志会会長



生年
明治2年12月(1870年)

没年
昭和6(1931)年11月29日

出生地
奈良県奈良

旧姓(旧名)
亀井

学歴〔年〕
東京帝大農科大学〔明治35年〕卒

主な受賞名〔年〕
融和事業功労者〔昭和3年〕

経歴
東京哲学館に学び、次いで東京帝大農科大学を卒業。獣医となる傍ら、実家の精肉業や車挽業なども経営し、のち士族籍を買って松井氏に改姓した。明治35年西本願寺僧の差別発言を糾弾したことから部落差別撤廃運動に身を投じ、36年に結成された日本同胞融和会に参加。また寺の経費不正使用を暴くなど本願寺改革でも活躍した。45年林春吉・阪本清三郎・小川幸三郎らと大和同志会を結成してその初代会長となり、同志の糾合を呼びかけるとともに行政の改善事業を批判、奈良県に部落民本位の事業推進を求めた。さらに機関誌「明治之光」を発行。大正8年部落民代表として帝国公道会主催の第1回同情融和大会に参加。大和同志会は8年一時的に会の活動を停止するが、11年全国水平社の水平運動に対抗しうる融和団体として県から認められ、活動を再開した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「松井庄五郎」の解説

松井庄五郎

没年:昭和6.11.29(1931)
生年:明治2.12(1869)
明治大正・昭和初期の融和運動家。奈良市西之坂の精肉商に生まれる。東京哲学館(東洋大)を経て明治35(1902)年東京帝大農科大学卒業,獣医となる。車挽業などの経営でも蓄財,士族籍を買得し改姓(旧姓亀井)した。35年西本願寺僧の差別事件を糾弾,さらに経費不正使用事件も追及して,本願寺改革にも活動した。45年7月,林春吉,阪本清三郎,小川幸三郎らと大和同志会を結成,全国に各地の同志会結成を呼びかけ,京都など数県から結成に応じた。県の改善事業を批判,部落民本位の事業実施をせまった。一方,東京での大江卓の帝国公道会(1913)と呼応して機関誌『明治之光』と『社会改善公道』を相互に共同刊行した。政府とも共同歩調をとり大正8(1919)年,帝国公道会が開催した第1回同情融和大会に部落民代表として参画した。11年,全国水平社が創立されるや大和同志会会員に一般民の加入を認めるように改組し,同志会会長を引退した。教育や生活改善事業に死ぬまぎわまで関与していたが,水平社とは対抗していた。<参考文献>『奈良の部落史』

(秋定嘉和)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松井庄五郎」の解説

松井庄五郎 まつい-しょうごろう

1870*-1931 明治-昭和時代前期の融和運動家。
明治2年12月生まれ。東京帝大を卒業して獣医となる。大正元年林春吉らと大和同志会を結成して会長に就任し,部落差別事件の糾弾,融和運動をくりひろげた。昭和6年11月29日死去。63歳。大和(奈良県)出身。旧姓は亀井。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

ベートーベンの「第九」

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android