朝日日本歴史人物事典 「松井庄五郎」の解説
松井庄五郎
生年:明治2.12(1869)
明治大正・昭和初期の融和運動家。奈良市西之坂の精肉商に生まれる。東京哲学館(東洋大)を経て明治35(1902)年東京帝大農科大学卒業,獣医となる。車挽業などの経営でも蓄財,士族籍を買得し改姓(旧姓亀井)した。35年西本願寺僧の差別事件を糾弾,さらに経費不正使用事件も追及して,本願寺改革にも活動した。45年7月,林春吉,阪本清三郎,小川幸三郎らと大和同志会を結成,全国に各地の同志会結成を呼びかけ,京都など数県から結成に応じた。県の改善事業を批判,部落民本位の事業実施をせまった。一方,東京での大江卓の帝国公道会(1913)と呼応して機関誌『明治之光』と『社会改善公道』を相互に共同刊行した。政府とも共同歩調をとり大正8(1919)年,帝国公道会が開催した第1回同情融和大会に部落民代表として参画した。11年,全国水平社が創立されるや大和同志会会員に一般民の加入を認めるように改組し,同志会会長を引退した。教育や生活改善事業に死ぬまぎわまで関与していたが,水平社とは対抗していた。<参考文献>『奈良の部落史』
(秋定嘉和)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報