日本歴史地名大系 「松山中島村」の解説 松山中島村まつやまなかじまむら 岐阜県:海津郡海津町松山中島村尾張国海西(かいさい)郡に属した村で、天保郷帳には松山村・中島村の二村として高付されている。明治二〇年(一八八七)愛知県との県境変更により海西郡松山中島村(地方行政区画便覧)として編入され、同三〇年東江(ひがしえ)村の大字となるが、同三二年から揖斐(いび)・長良・木曾三河川の第三期分流工事に伴い、長良川河川敷となり消滅した。寛文村々覚書(徳川林政史研究所蔵)によれば、松山村は元高三五〇石・概高一四四石余で家数一五・人数一四三、馬七、小船一。中島村は元高五二石余・概高一一石余で家数二・人数一一、また「木曾川通ニて流木留候ヘバ、御定之通、留賃請取」とある。宝暦治水の目論見絵図には、高須(たかす)輪中と尾張の立田(たつた)輪中の間を南流する木曾川に浮ぶ中洲に松山中島村と記される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報