松山宿(読み)まつやましゆく

日本歴史地名大系 「松山宿」の解説

松山宿
まつやましゆく

[現在地名]松山町千石 松山

近世の志田郡松山郷千石せんごく村にあった町場で松山茂庭氏の城下町鳴瀬なるせ川南岸の丘陵上にある茂庭氏居館の上野うわの館の東下に南北に続く。寛永一〇年(一六三三)頃と推定される松山城付近の絵図(仙台市博物館蔵)に「町屋敷 本町 新町 二百三拾六間」とあり、近世初期には両町が成立していた。もと町は中世後期の領主遠藤氏の頃からあったものであろう。天和元年(一六八一)の志田郡松山之内茂庭周防屋敷絵図(宮城県図書館蔵)の付属文書に「拙者在郷屋敷続町御座候、元来御伝馬相務、市町月六度宛相立申候」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の松山宿の言及

【松山】より

…その支配領域は松山領と呼ばれ,ほぼ松山城・松山本郷以西の比企郡域に及ぶ。松山本郷は松山領の経済中枢として,伝馬の宿駅,5日,10日の六斎市,新宿も立てられる町場として松山宿と呼ばれ,町代官が置かれ〈町人さばき〉にゆだねられるが,戦国末しだいに城下町化の傾向を強める。1590年(天正18)後北条氏の滅亡後は徳川領となり,松平(桜井)家広が松山城1万石を領するが,1600年(慶長5)廃城となり,松山町約2000石は幕領,旗本嶋田氏領(1641‐),川越(1866年前橋に移封)松平氏領(1811‐)と変遷し,幕末には陣屋も置かれた。…

※「松山宿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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