日本歴史地名大系 「松山宿」の解説
松山宿
まつやましゆく
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
…その支配領域は松山領と呼ばれ,ほぼ松山城・松山本郷以西の比企郡域に及ぶ。松山本郷は松山領の経済中枢として,伝馬の宿駅,5日,10日の六斎市,新宿も立てられる町場として松山宿と呼ばれ,町代官が置かれ〈町人さばき〉にゆだねられるが,戦国末しだいに城下町化の傾向を強める。1590年(天正18)後北条氏の滅亡後は徳川領となり,松平(桜井)家広が松山城1万石を領するが,1600年(慶長5)廃城となり,松山町約2000石は幕領,旗本嶋田氏領(1641‐),川越(1866年前橋に移封)松平氏領(1811‐)と変遷し,幕末には陣屋も置かれた。…
※「松山宿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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