松島庄十郎(読み)マツシマ ショウジュウロウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「松島庄十郎」の解説

松島 庄十郎(4代目)
マツシマ ショウジュウロウ


職業
長唄唄方 邦楽作曲・作詞家

肩書
松島流家元(7代目)

本名
大沢 善之助(オオサワ ゼンノスケ)

別名
筆名=村山 亘(ムラヤマ セン),前名=松島 庄左久(2代目)

生年月日
昭和2年 1月15日

出生地
東京・下谷

学歴
東京音楽学校(東京芸術大学)〔昭和23年〕卒

経歴
4代目松島庄五郎実子で、松島庄十女に学んだ。昭和19年2代目松島庄左久を名乗る。28年4代目庄十郎を襲名、34年松島流7代目家元となった。32年東京音楽学校卒業生を中心とした長唄東音会に発足と同時に参加、歌舞伎長唄の唄方も務めた。また長唄協会常任理事、日本芸能実演家団体協議会常任理事などを歴任した。作曲に邦響楽「秋」、長唄「弁慶」などがあり、村山亘のペンネームで作詞・作曲活動も行った。自伝に「昭和に生きて」がある。

所属団体
日本芸能実演家団体協議会(顧問),長唄協会(常任監事)

受賞
勲五等双光旭日章〔平成10年〕 邦楽コンクール作曲部門入賞

没年月日
平成15年 6月12日 (2003年)

家族
父=松島 庄五郎(4代目)


松島 庄十郎(3代目)
マツシマ ショウジュウロウ


職業
長唄唄方

本名
大沢 善次郎

別名
前名=松島 伊勢三郎

生年月日
明治9年

経歴
3代目松島庄五郎の義弟。明治39年3代目を襲名。歌舞伎座市村座帝劇などに出勤。また、芙蓉会などの演奏会にも出演。妻の2代目杵屋伊勢が、昭和9年庄十女と改名して松島6代目家元となった。

没年月日
昭和2年 4月21日 (1927年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「松島庄十郎」の解説

松島 庄十郎(4代目)
マツシマ ショウジュウロウ

昭和・平成期の長唄唄方,邦楽作曲・作詞家 松島流家元(7代目)。



生年
昭和2(1927)年1月15日

没年
平成15(2003)年6月12日

出生地
東京・下谷

本名
大沢 善之助(オオサワ ゼンノスケ)

別名
筆名=村山 亘(ムラヤマ セン),前名=松島 庄左久(2代目)

学歴〔年〕
東京音楽学校(現・東京芸術大学)〔昭和23年〕卒

主な受賞名〔年〕
邦楽コンクール作曲部門入賞,勲五等双光旭日章〔平成10年〕

経歴
4代目松島庄五郎の実子で、松島庄十女に学んだ。昭和19年2代目松島庄左久を名のる。28年4代目庄十郎を襲名、34年松島流7代目家元となった。32年東京音楽学校卒業生を中心とした長唄東音会に発足と同時に参加、歌舞伎長唄の唄方も務めた。また長唄協会常任理事、日本芸能実演家団体協議会常任理事などを歴任した。作曲に邦響楽「秋」、長唄「弁慶」などがあり、村山亘のペンネームで作詞・作曲活動も行った。自伝に「昭和に生きて」がある。


松島 庄十郎(3代目)
マツシマ ショウジュウロウ

明治〜昭和期の長唄唄方



生年
明治9年(1876年)

没年
昭和2(1927)年4月21日

本名
大沢 善次郎

別名
前名=松島 伊勢三郎

経歴
3代目松島庄五郎の義弟。明治39年3代目を襲名。歌舞伎座、市村座、帝劇などに出勤。また、芙蓉会などの演奏会にも出演。妻の2代目杵屋伊勢が、昭和9年庄十女と改名して松島6代目家元となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

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