松島糸寿(読み)マツシマ イトジュ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「松島糸寿」の解説

松島 糸寿
マツシマ イトジュ


職業
箏曲

生年月日
天保14年 9月1日

出生地
筑前国(福岡県)

経歴
5歳の時に天然痘にかかって失明し、7歳の頃から女検校大塚菊寿に師事して箏や三味線を習う。上達著しく10歳で代稽古を務め、16歳で免許皆伝を授けられた。明治3年33歳で上京し、生田流の看板を掲げるが振るわず帰郷。15年再び上京して久留米出身の生田流箏曲家である山下検校のもとで稽古に励んだ。政治家黒田清隆の知遇を得て弟子を募るも思うようにことが運ばず、救いを求めてキリスト教入信。これが機となってドイツ人宣教師スピンネルや新教神学校音楽教師ボリアンらと知り合い、教会に集う婦人たちに箏曲や三味線を教えることとなった。その一方で松生会を主宰。明治時代における生田流の開拓者、九州系の地歌・箏曲を東京に伝えた先覚者として多くの門弟を育て、その中からは天笠才寿や野坂操寿を輩出した。また、小説家永井荷風の母(漢詩人鷲津毅堂の娘)もその門下である。

没年月日
大正14年 11月11日 (1925年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「松島糸寿」の解説

松島 糸寿
マツシマ イトジュ

明治・大正期の箏曲家



生年
天保14年9月1日(1843年)

没年
大正14(1925)年11月11日

出生地
筑前国(福岡県)

経歴
5歳の時に天然痘にかかって失明し、7歳の頃から女検校大塚菊寿に師事して箏や三味線を習う。上達著しく10歳で代稽古を務め、16歳で免許皆伝を授けられた。明治3年33歳で上京し、生田流の看板を掲げるが振るわず帰郷。15年再び上京して久留米出身の生田流箏曲家である山下検校のもとで稽古に励んだ。政治家黒田清隆の知遇を得て弟子を募るも思うようにことが運ばず、救いを求めてキリスト教に入信。これが機となってドイツ人宣教師スピンネルや新教神学校音楽教師ボリアンらと知り合い、教会に集う婦人たちに箏曲や三味線を教えることとなった。その一方で松生会を主宰。明治時代における生田流の開拓者、九州系の地歌・箏曲を東京に伝えた先覚者として多くの門弟を育て、その中からは天笠才寿や野坂操寿を輩出した。また、小説家永井荷風の母(漢詩人鷲津毅堂の娘)もその門下である。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松島糸寿」の解説

松島糸寿 まつしま-いとじゅ

1843-1925 明治-大正時代の地歌・箏曲(そうきょく)家。
天保(てんぽう)14年9月1日生まれ。筑前(ちくぜん)福岡藩士の娘。5歳で失明し,大塚菊寿に師事。明治の初め上京し,松生会を主宰,九州系地歌・箏曲を東京につたえた。門下に天笠(あまがさ)才寿,野坂操寿。大正14年11月11日死去。83歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

ビャンビャン麺

小麦粉を練って作った生地を、幅3センチ程度に平たくのばし、切らずに長いままゆでた麺。形はきしめんに似る。中国陝西せんせい省の料理。多く、唐辛子などの香辛料が入ったたれと、熱した香味油をからめて食べる。...

ビャンビャン麺の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android