朝日日本歴史人物事典 「松崎渋右衛門」の解説
松崎渋右衛門
生年:文政10(1827)
幕末の高松藩士。父は佐邦。文久2(1862)年格奉行,元治1(1864)年4月家老となる。この前後,長谷川宗右衛門と共に宗家水戸徳川家との和解に尽力し,同時に尊王攘夷運動に接近した。長州藩尊攘派による禁門の変後の9月,罷免され獄に送られる。明治1(1868)年1月,高松藩は朝敵とみなされ,土佐藩の進攻を受け開城。それに伴って出獄を許され,翌2年執政兼会計農政長の重職に就いた。だが旧佐幕派の怨恨は深く,同年9月,堀多仲ら14名によって殺害さる。藩庁はこれを自殺として処理したが,やがて真相が明らかとなり,藩知事および関係者は新政府により処罰された。
(井上勲)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報