20世紀日本人名事典 「松川敏胤」の解説
松川 敏胤
マツカワ トシタネ
- 生年
- 安政6年11月9日(1859年)
- 没年
- 昭和3(1928)年3月7日
- 出生地
- 陸奥国仙台(宮城県仙台市)
- 学歴〔年〕
- 二松学舎,陸士〔明治15年〕卒,陸大〔明治20年〕卒
- 経歴
- 仙台藩士の長男として生まれる。明治15年陸軍少尉に任官。26〜28年軍事研究のためドイツに留学。日清戦争末期に帰国し、第二軍参謀として出征、台湾鎮圧戦に参加した。なお帰国に際してスキー道具を持ち帰り、わが国にスキーを紹介した。陸大教官、ドイツ公使館付武官を経て、参謀本部第一部長となり、松石安治らと対露作戦の策定に従事。日露戦争が始まると満州軍参謀に転じて児玉源太郎参謀長の下で作戦主任を務め、知略を尽くして勝利に貢献した。41年歩兵第六旅団長、44年歩兵第二旅団長、45年第十師団長、大正3年第十六師団長、5年東京衛戌総督、6年朝鮮駐剳軍司令官、7年朝鮮軍司令官などを歴任。同年陸軍大将。12年予備役に編入。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報