松平正直(読み)マツダイラ マサナオ

20世紀日本人名事典 「松平正直」の解説

松平 正直
マツダイラ マサナオ

江戸時代末期・明治期の内務官僚,男爵 貴院議員(勅選);内務次官;枢密顧問官



生年
天保15年2月26日(1844年)

没年
大正4(1915)年4月20日

出生地
越前国福井(福井県)

別名
通称=源太郎

主な受賞名〔年〕
勲一等

経歴
安政5年家督相続。文久元年九州に遊学、明治元年戊辰戦争に越後口軍監として会津征討に従軍する。2年福井藩少参事、3年民部省に出仕、5年新潟県参事。7年内務省に転じ、10年内務権大書記官、11年宮城県権令、同県令を経て、19年同県知事、24年熊本県知事、29年第2次松方内閣、31年第2次山県内閣各内務次官を歴任。同年勅選貴院議員となり、33年男爵。のち石狩石炭、肥後酒精各役員、日本教育生命保険社長などを務めた。43年枢密顧問官。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「松平正直」の解説

松平 正直
マツダイラ マサナオ


肩書
貴院議員(勅選),内務次官,枢密顧問官

別名
通称=源太郎

生年月日
天保15年2月26日(1844年)

出生地
越前国福井(福井県)

経歴
安政5年家督相続。文久元年九州に遊学、明治元年戊辰の役に越後口軍監として会津征討に従軍。2年福井藩少参事、3年民部省に出仕、5年新潟県参事。7年内務省に転じ、10年内務権大書記官、11年宮城県権令、同県令を経て同県知事、24年熊本県知事、29年第2次松方正義内閣、31年第2次山県有朋内閣各内務次官を歴任。同年勅選貴院議員となり、33年男爵。のち石狩石炭、肥後酒精各役員、日本教育生命保険社長などを務めた。43年枢密顧問官。

受賞
正二位勲一等

没年月日
大正4年4月20日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

朝日日本歴史人物事典 「松平正直」の解説

松平正直

没年:大正4.4.20(1915)
生年:弘化1.2.26(1844.4.13)
明治大正期の官僚。越前国(福井市)出身。福井藩士松平正泰の子。安政5(1858)年家督相続,元治1(1864)年藩大番頭。戊辰戦争(1868~69)には会津征討越後口軍監として出兵した。明治2(1869)年藩少参事,3年9月民部省出仕,6年11月内務省創設に伴い内務少丞,10年内務権大書記官,この間大久保利通内務卿の知遇を得,11年7月宮城県権令に転出,同県令を経て19年7月同県知事,次いで24年熊本県知事。なお25年の第2回総選挙時には品川弥二郎内相の命を帯び郷里福井県の選挙に干渉画策するところがあった。29年9月第2次松方正義内閣の樺山資紀内相の下で内務次官,31年1月次官辞任と同時に貴族院議員に勅選され,同年11月第2次山県有朋内閣の西郷従道内相の下で再度内務次官に就任,33年5月男爵を授けられ華族に列した。その後実業界にも進出し,さらに43年10月枢密顧問官に任ぜられた。明治時代を通じいわゆる薩長藩閥勢力下の典型的な内務官僚のひとりであったといえよう。

(池内啓)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松平正直」の解説

松平正直 まつだいら-まさなお

1844-1915 幕末-明治時代の武士,官僚。
天保(てんぽう)15年2月26日生まれ。越前(えちぜん)福井藩士。戊辰(ぼしん)戦争では新政府軍の越後口(えちごぐち)軍監として活躍。維新後は大久保利通(としみち)に重用され,宮城県知事,熊本県知事,内務次官をつとめる。貴族院議員,枢密顧問官。大正4年4月20日死去。72歳。通称は源太郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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