朝日日本歴史人物事典 「松平直克」の解説
松平直克
生年:天保11.2.26(1840.3.29)
幕末維新期の前橋藩主。大和守,号は兼山。久留米藩主有馬頼徳の5男。母は満。文久3(1863)年,松平慶永の後を受けて政事総裁職となり,幕政の枢機に参与する。幕権の回復を策し,横浜鎖港を主張するが,水戸天狗党の反乱鎮圧を優先する幕府の方針により翌年免ぜられる。名門の譜代藩に養子入りしたことによる徳川家に対する百二十パーセントの忠誠心は,戊辰戦争後に宗家存続のため奔走した事績によく表れている。藩内においても,江戸湾警備に伴う軍制改革や前橋城築城などを断行。明治2(1869)年,前橋藩知事となった。<参考文献>『前橋市史』2巻
(高木不二)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報