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松平直克 まつだいら なおかつ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

松平直克 まつだいら-なおかつ

1840-1897 幕末-明治時代の大名。
天保(てんぽう)11年2月26日生まれ。筑後(ちくご)(福岡県)久留米(くるめ)藩主有馬頼徳(よりのり)の5男。松平直侯(なおよし)の養子となり,文久元年武蔵(むさし)川越藩(埼玉県)藩主松平(越前(えちぜん))家7代。3年政事総裁職につく。慶応3年上野(こうずけ)前橋に城を再築してうつる。公武合体や維新後の徳川家存続のため尽力。明治30年1月25日死去。58歳。初名は頼敦。大和守。

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朝日日本歴史人物事典の解説

松平直克

没年:明治30.1.25(1897)
生年:天保11.2.26(1840.3.29)
幕末維新期の前橋藩主。大和守,号は兼山。久留米藩主有馬頼徳の5男。母は満。文久3(1863)年,松平慶永の後を受けて政事総裁職となり,幕政の枢機に参与する。幕権の回復を策し,横浜鎖港を主張するが,水戸天狗党の反乱鎮圧を優先する幕府の方針により翌年免ぜられる。名門の譜代藩に養子入りしたことによる徳川家に対する百二十パーセントの忠誠心は,戊辰戦争後に宗家存続のため奔走した事績によく表れている。藩内においても,江戸湾警備に伴う軍制改革や前橋城築城などを断行。明治2(1869)年,前橋藩知事となった。<参考文献>『前橋市史』2巻

(高木不二)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の松平直克の言及

【上野国】より

…しかし幕末の上野諸藩はいずれも累年の借財をかかえ,しかも幕府の危機に譜代藩としての去就に苦悩した。そのなかで1864年(元治1)の天狗党の乱での水戸天狗党の上州通過の阻止(下仁田戦争)や,慶応の世直し一揆,新田満次郎らの勤王運動への対応があり,前橋藩主松平直克は朝幕間の調停に奔走しつつ,東下する東山道総督に服した。諸藩もほぼ同じ道をたどったが,館林藩は長州藩との縁もあって勤王に積極的であった。…

※「松平直克」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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