日本大百科全書(ニッポニカ) 「黒人文学」の意味・わかりやすい解説
黒人文学
こくじんぶんがく
negro literature
African American literature
黒人による文学。アフリカ黒人文学、カリブ黒人文学、アメリカ黒人文学に大別される。日本ではだいたいアメリカ黒人(アフリカ系アメリカ人)文学をさしてきた。「黒人」をさすことばは、アメリカ史の初期には、“African”、“Colored”、“Freedman”、“Negro”、“Black”などが使われていたが、もっとも広く、長く使われたのは“Negro”であった。しかし、1960年代中ごろから、これは奴隷状態を象徴する呼称として批判され、“Black”を使うことが提唱された。さらに1970年代以降は、黒人としてのグループ・アイデンティティを模索するアフリカ研究やアフリカン・アメリカン研究が盛んになり、黒人たちがアフリカに起源をもつ自らの歴史・伝統を再認識するなかで、アフリカとのつながりを誇りをもって伝えるという姿勢から、“Afro-American”や“African American”が広く使われてきている。「黒人文学」を意味することばも、この変化を反映して、1960年代ぐらいまでは“Negro literature”、それ以後1980年代の初めぐらいまでは“Black American literature”、1970年代後半以降は“Afro-American literature”や“African American literature”が多く使われ、現在は、文化的統一性とアイデンティティをより強く示す“African American literature”が一般的である。
アメリカの黒人文学は、1619年以降、黒人がこの新大陸に輸入され、売買され、奴隷として働かされた歴史的事実によって、最初からアメリカ文化から疎外された文学という宿命を負わされていた。黒人の生きた現実の社会は、奴隷制度という閉鎖的な一種の強制収容所の社会であったから、その文学が、長い歴史の過程で失われた人間性の復権を目ざしていることはいうまでもない。アメリカ黒人の作品が最初に出版されたのは、フィリス・ホイートリPhillis Wheatley(1753?―1784)の詩集(1773)であったが、これは例外であり、奴隷制度の極限状況を生き抜いた一般の黒人の最初の文学的表現は、「奴隷体験記」である。18世紀後半からみられ、19世紀の中ごろには最盛期に達し、F・ダグラスやハリエット・ジェイコブズHarriet Jacobs(1813―1897)のすぐれた「体験記」を生んだ。この伝統は現代もなおマルコム・エックスやマヤ・アンジェロウMaya Angelou(1928―2014)の自伝に引き継がれている。
[佐川愛子 2018年11月19日]
20世紀初頭まで――南部の文学
南北戦争が終結し奴隷解放宣言が出されても、南部における黒人の抑圧と搾取は形を変えて続けられた。「ジム・クロウ制度」という徹底した人種隔離政策が定着し、リンチ法、自警団による処刑、教育機会の剥奪(はくだつ)は激しさを増した。19世紀後半から20世紀初頭の黒人作家たちは、社会改革を目ざして、こうした人種差別の主題を取り上げた。ウィリアム・ウェルズ・ブラウンWilliam Wells Brown(1814?―1884)の『大統領の娘クローテル』(1853)、フランシス・E・W・ハーパーFrances Ellen Watkins Harper(1825―1911)の『アイオラ・リロイ』(1892)、チャールズ・W・チェスナットCharles W. Chesnutt(1858―1932)の『伝統の神髄』(1901)、ジェームズ・ウェルダン・ジョンソンJames Weldon Johnson(1871―1938)の『元奴隷の自伝』(1912)などがある。ここで注目すべきことは、大半が白人の読者層に向けて書かれたこれらの作品の主人公たちは、白い肌をした混血の黒人であることである。外見は白人と変わらない、皮膚の色の白い混血黒人の悲劇を扱った、「パッシング」passingという主題は、黒人固有の経験として以後黒人文学の一つの著しい特徴となって繰り返された。
[佐川愛子 2018年11月19日]
1920年代~1950年代――北部・都市の文学
19世紀の終わりから20世紀の初頭にかけて、南部でのジム・クロウ、リンチ、低賃金、そして増え続ける暴動のため、黒人は大挙して北部の都市へ移動し、それらの都市は新しい文化的・政治的エネルギーを得て活気づいた。とくに1920年代は、覚醒(かくせい)した「新しい黒人」による知的・芸術的作品が多く生み出された時期で、ハーレム・ルネサンスとよばれる。ラングストン・ヒューズ、ゾラ・ニール・ハーストンZola Neale Hurston(1891―1960)、ネラ・ラーセンNella Larsen(1891―1964)、ジーン・トゥーマー、アーナ・ボンタンArna Bontemps(1902―1973)、カウンティ・カレンCountee Cullen(1903―1946)、クロード・マッケイClaude McKay(1889―1948)らが輩出した。しかし、1929年の大恐慌から始まった1930年代、1940年代の長い経済不況で、依然として衰えない差別待遇によって惨めな生活を強いられ続けた黒人の被害者意識はますます先鋭化していき、彼らの文学も「抗議」のテーマを明確にしていった。この時代の「抗議文学」の代表的なものは、ボンタンの『黒い雷』(1936)、リチャード・ライトの『アメリカの息子』(1940)、アン・ピトリAnn Petry(1908―1997)の『街路』(1946)などである。なかでもライトの『アメリカの息子』は、初めて黒人の小説が白人の文学作品と肩を並べたといわれるものであり、この時代を代表する記念碑的作品であった。作中人物の「ビガー」を黒人の典型として創造したこの傑作は、しかし、皮肉にも「黒人文学=抗議文学」、「黒人=ビガー・トマス」という図式を確定してしまい、1950年代以降の黒人文学は、これに異議を唱え、乗り越える形で発展していくことになった。
[佐川愛子 2018年11月19日]
1960年代――黒人芸術運動
ラルフ・エリソンにとってライトのビガーは、人間ではなく、白人による抑圧への告発として、つくりあげられたものだった。彼は一貫して偏狭なイデオロギー的題材を避け、より一般的な現代の人間状況の複雑さと矛盾を照らしだす作品『見えない人間』(1952)を書いた。ジェームズ・ボールドウィンは、『アメリカの息子』を公に批判することで作家としてのスタートを切った。しかし、処女作『山に登りて告げよ』(1953)の審美性を重視し、政治からは一定の距離を置いたような芸術的姿勢は、1960年代中ごろまでには、アメリカで黒人であることの意味を、予言的・政治的にとらえる作品に変わっていった。
1950年代後半から1960年代の公民権運動の盛り上がりにもかかわらず、黒人の生活はいっこうに改善せず、不満が増すなかで、1960年代は全国各地で暴動が頻発し、黒人の運動は黒人民族主義的傾向を強め、「ブラック・パワー」が叫ばれるようになった。これに連動して芸術の分野では、芸術を黒人解放のための政治的運動と結び付ける「黒人芸術運動」が起こった。詩人・戯曲家・音楽評論家アミリ・バラカ(リロイ・ジョーンズ)、詩人ニッキ・ジョバンニNikki Giovanni(1943― )、ソニア・サンチェスSonia Sanchez(1934― )、『黒人の美学』(1971)を著した批評家アディスン・ゲイル・ジュニアAddison Gayle Jr.(1932―1991)などが活躍した。
[佐川愛子 2018年11月19日]
1970年代以降――女性作家の登場
公民権運動と黒人民族主義運動は、黒人たちの関心を民族の文化の源へ向けた。1960年代にはアフリカ諸国が、西欧の植民地支配の軛(くびき)を断ち切り、次々と政治的独立を達成していたことも刺激となり、1970年代以降の黒人文学は、民族に対する誇りをもって、それまでにはなかった新しい価値観と黒人として、人間としてのアイデンティティを模索する傾向を強めた。加えて、1960年代末の対抗文化運動のなかから生まれたラディカル・フェミニズム(ウーマン・リブ)の波は黒人社会にも確実に押し寄せ、白人中産階級のフェミニズムとは一線を画したブラック・フェミニズム、あるいはアリス・ウォーカーのいうウーマニズムを生み、それまで押さえられていた黒人女性作家たちの才能が一気に開花したかのような、黒人女性作家隆盛期を迎えた。ポール・マーシャルPaule Marshall(1929―2019)、マヤ・アンジェロウ、ヌトザケ・シャンゲNtozake Shange(1948―2018)、ゲイル・ジョーンズGayl Jones(1949― )、ジューン・ジョーダンJune Jordan(1936―2002)、オードリ・ロードAudre Lorde(1934―1992)、トニ・モリスン、アリス・ウォーカーらの活躍が目覚ましい(トニ・モリスンは2019年没)。なかでも、トニ・モリスンとアリス・ウォーカーは、現代アメリカ文壇で大きな影響力をもつ主要作家である。1987年の『ビラブド(愛されし者)』でピュリッツアー賞を受賞し、1993年にはノーベル文学賞に輝いたトニ・モリスンは、西洋文明の中心思想のもつ破壊的力に挑み、アフリカ系アメリカ人の文化・儀式のなかにたいせつに保存されてきた、抵抗と創造と自己認識を達成する能力を礼賛。1982年の『カラー・パープル』でピュリッツアー賞を受賞したアリス・ウォーカーもまた、アフリカ系アメリカ人民衆の伝統の発掘と維持という点で中心的存在である。ウォーカーは、読者が、理論と実践、ジェンダー(性)と人種の間の確執について考え、社会的主体としての自らの生きざまのなかに内在する矛盾に立ち向かうよう駆り立てる。
[佐川愛子 2019年8月20日]
黒人文学の課題
人間生活のあらゆる場面でグローバル化が進んでいる現在、黒人文学の題材と文体は、かつてない多様性をみせている。多くの作家は、アフリカン・ディアスポラと汎アフリカ主義のもつ意味、黒人民衆と黒人の歴史の再認識と復権、性の意味ある差異の構築、等に関心を抱いているようである。これらすべての問題の根は、初期のアメリカ黒人の歴史と文学表現のなかにあり、かつ、他民族の文化的・文学的伝統と相互に関連している。今後ますます進むグローバル化に伴って読者層も広がるなかで、黒人文学は、さらに多様な可能性を模索していくことであろう。
しかし、アメリカの黒人の現状は、けっして明るくはない。1970年代から1990年代末にかけての差別是正のための「アファーマティブ・アクション」の成果は、各方面での黒人の躍進という形で、着実に上がっている反面、その恩恵に浴していない下層階級の黒人たちの置かれた状況は、深刻である。グローバルな題材とともに、現在のアメリカ黒人社会が抱えるこうした問題に、黒人文学がどのようにかかわってゆくのか、ゆけるのか。それが、アメリカ黒人文学の今後の課題であるといえるだろう。
[佐川愛子 2018年11月19日]
『『黒人文学全集』12巻・別巻1(1951・早川書房)』▽『橋本福夫著『黒人文学の世界』(1967・未来社)』▽『ロバート・A・ボーン著、斎藤数衛訳『アメリカの黒人小説』(1972・北沢図書出版)』▽『池上日出夫・伊藤堅二・須田稔・田中礼著『アメリカ黒人の解放と文学』(1979・新日本出版社)』▽『橋本福夫著『橋本福夫著作集2 黒人文学論』(1989・早川書房)』▽『木内徹編『黒人文学書誌』(1994・鷹書房弓プレス)』▽『木内徹編『黒人作家事典』(1996・鷹書房弓プレス)』▽『関口功教授退任記念論文集編集委員会編『アメリカ黒人文学とその周辺』(1997・南雲堂フェニックス)』▽『チャールズ・スクラッグズ著、松本昇他訳『黒人文学と見えない都市――アメリカ/スイートホーム』(1997・彩流社)』▽『加藤恒彦・北島義信・山本伸編著『世界の黒人文学――アフリカ・カリブ・アメリカ』(2000・鷹書房弓プレス)』▽『リチャード・ライト著、野崎孝訳『ブラック・ボーイ――ある幼少期の記録』上下(岩波文庫)』