日本歴史地名大系 「松村町」の解説 松村町まつむらちよう 東京都:中央区旧京橋区地区松村町[現在地名]中央区銀座(ぎんざ)一丁目三十間(さんじつけん)堀に架かる紀伊国(きのくに)橋の東詰にある片側町。南は木挽(こびき)町一丁目、東は武家地、北と西は三十間堀沿いの河岸地で、町地は東から南に折れている。西の対岸は三十間堀(さんじつけんぼり)一丁目、北の対岸は京橋水谷(きようばしみずたに)町。寛文新板江戸絵図に町名はなく、享保年中江戸絵図では明地となっている。「御府内備考」の深川の松村町(現江東区)の項によれば、同町は享保六年(一七二一)木挽町続松村町拝領町屋敷が御用地に召上げられた際、代地として与えられた地であるという。 松村町まつむらちよう 東京都:江東区旧深川区地区松村町[現在地名]江東区福住(ふくずみ)一丁目伊沢(いざわ)町の東にある町屋。東は坂本(さかもと)町代地、北は武家地、南は掘割に面する。深川松村(ふかがわまつむら)町とも称した。元木場(もときば)二一ヵ町の一。文政町方書上によれば、いったん武家地となりその後上地。享保六年(一七二一)木挽(こびき)町続きにあった松村町(現中央区)が御用地となったため代地とされ、旧名をそのまま用い町名とする。町内間数は田舎間で九三間余。南の方表通りは東西表四二間余・裏幅五五間余、南北は奥行が西方二二間余・東方二〇間余(中道間数を除く)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報