朝日日本歴史人物事典 「板倉重矩」の解説
板倉重矩
生年:元和3(1617)
江戸前期の老中,下野国(栃木県)烏山藩藩主。板倉重昌の長男,母は林吉定の娘。幼名長命,通称又右衛門。内膳正。寛永14(1637)年島原一揆に際して父重昌と共に九州へ赴く。戦死した重昌にかわって戦功を上げるが,軍律に違反し一時逼塞させられた。16年遺領を継承し三河国中島1万石。大坂定番を経て寛文5(1665)年老中となり,一時京都所司代となるが,のち老中に再任。数度の加増により12年には下野烏山5万石となった。大坂定番のころの逸話として,大坂城の落雷,炎上の際の冷静な対応ぶりが伝えられ,また所司代として朝廷からも厚い信任を得ていたという。<著作>『板倉重矩遺言』
(大森映子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報