板鼻村(読み)いたはなむら

日本歴史地名大系 「板鼻村」の解説

板鼻村
いたはなむら

[現在地名]安中市板鼻一―二丁目・板鼻

碓氷うすい川を挟んで中宿なかじゆく村の東にあり、東は八幡やわた(現高崎市)。南端近くをほぼ東西に中山道が通り、上州七宿の一宿である板鼻宿が賑った。古城こじよう遺跡で後期旧石器時代、岩宿I文化と並行時期の暗褐色ローム層から、ナイフ形石器や削器、敲石・台石など約七〇〇点の石器が出土した。中世には現在の安中市東部から高崎市にかけての一帯を板鼻と称したと考えられ、東山道・鎌倉街道、碓氷川からす川から利根川流域にわた水上の道が交差する要衝であり、宿町として発展した。天正一八年(一五九〇)五月日付豊臣秀吉禁制(中沢文書)に「下板鼻村」とみえる。同時期宿も上・下に分れていたと考えられ(同一一年六月四日「北条氏邦印判状」福田文書)、宿・村の運営も上・下に分れて対応していたと思われる。

慶長年間(一五九六―一六一五)には当地一帯に一万石を領した里見忠重が陣屋を構えた(慶長一三年「里見忠重寺領寄進状」長伝寺文書)。寛永二年(一六二五)から老中酒井忠世の長男忠行が、部屋住料として緑野みどの多胡たご片岡かたおか・碓氷・群馬・甘楽かんら勢多せたの七郡内に二万石余を与えられ、当地に居所を営んだ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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