林 市蔵
ハヤシ イチゾウ
- 肩書
- 大阪府知事
- 生年月日
- 慶応3年11月28日(1867年12月23日)
- 出生地
- 肥後国(熊本県)
- 学歴
- 東京帝大法科〔明治29年〕卒
- 経歴
- 零落した貧乏士族の家に育ち、苦学して帝大に進む。内務官吏として各地を転勤、その間明治32年警察監獄学校教授となり、社会事業への関心を深める。41年三重県知事に就任、地方自治の育成に尽した。のち大阪府知事となり、在任中に米騒動に遭遇、民生対策として小河滋次郎とともに大正7年方面委員(現・民生委員)制度を創設した。退官後も関西地方を中心に民間社会事業を指導、庶民信用組合の頭取として防貧事業に携わる。「民生委員の父林市蔵先生」がある。
- 没年月日
- 昭和27年2月21日
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
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林 市蔵
ハヤシ イチゾウ
明治・大正期の内務官僚 大阪府知事。
- 生年
- 慶応3年11月28日(1867年12月23日)
- 没年
- 昭和27(1952)年2月21日
- 出生地
- 肥後国(熊本県)
- 学歴〔年〕
- 東京帝大法科〔明治29年〕卒
- 経歴
- 零落した貧乏士族の家に育ち、苦学して帝大に進む。内務官吏として各地を転勤、その間明治32年警察監獄学校教授となり、社会事業への関心を深める。41年三重県知事に就任、地方自治の育成に尽した。のち大阪府知事となり、在任中に米騒動に遭遇、民生対策として小河滋次郎とともに大正7年方面委員(現・民生委員)制度を創設した。退官後も関西地方を中心に民間社会事業を指導、庶民信用組合の頭取として防貧事業に携わる。「民生委員の父林市蔵先生」がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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林市蔵 はやし-いちぞう
1867-1952 明治-大正時代の官僚。
慶応3年11月28日生まれ。三重・山口県知事をへて,大正6年大阪府知事。7年米騒動に際し小河滋次郎(おがわ-しげじろう)とともに方面委員を創設。現在の民生委員制度の始まりで,市蔵は民生委員の父といわれる。のち日本信託銀行頭取などをつとめた。昭和27年2月21日死去。84歳。肥後(熊本県)出身。帝国大学卒。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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