林甚之丞(読み)ハヤシ ジンノジョウ

20世紀日本人名事典 「林甚之丞」の解説

林 甚之丞
ハヤシ ジンノジョウ

昭和期の実業家



生年
明治18(1885)年

没年
昭和35(1960)年3月17日

出生地
北海道

経歴
大正12年日本鋼管白石元治郎援助を受け日本レールを設立。昭和12年日本鋼材社長となり、翌13年全国鋼材商業組合が設立され、理事長。16年南洋鉄鉱取締役となり、ついで南洋鉄鉱を鋼管鉱業と改め取締役社長に就任した。17年鋼管鉱業社長兼日本鋼管南方事業部長としてマレー半島の鉄鉱山を視察。19年鋼管鉱業、武蔵野石灰、日鋼満俺、日東満俺の4社を合併して日本鋼管鉱業を設立、社長に就任。24年日本鋼管に入り、取締役から会長兼副社長となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「林甚之丞」の解説

林甚之丞 はやし-じんのじょう

1884-1960 昭和時代の実業家。
明治17年3月1日生まれ。日本鋼管(現NKK)の白石元治郎(もとじろう)の援助で日本レールを設立。昭和12年日本鋼材社長,翌年全国鋼材商業組合理事長。16年南洋鉄鉱取締役,19年日本鋼管鉱業社長。東南アジア方面の鉄鉱開発につくす。戦後,日本鋼管会長兼副社長。昭和35年3月15日死去。76歳。北海道出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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