白石元治郎(読み)シライシ モトジロウ

20世紀日本人名事典 「白石元治郎」の解説

白石 元治郎
シライシ モトジロウ

明治〜昭和期の実業家 日本鋼管創立者。



生年
慶応3年7月21日(1867年)

没年
昭和20(1945)年12月24日

出身地
福島県

旧姓(旧名)
前山

学歴〔年〕
東京帝大法科大学法律科〔明治25年〕卒

経歴
明治15年伯父・白石家の養嗣子となる。大学卒後、浅野商店に入り、石油部支配人を経て、29年東洋汽船支配人となる。45年わが国最初の民営製鉄会社、日本鋼管を創立、社長となり、翌年川崎に製造工場を建設、シームレス鋼管の生産に成功した。昭和9年国策会社・日本製鉄成立にさいしては不参加の先頭に立つ。一時副社長に退くが、11年社長に復帰、17年以後死去するまで会長を務めた。戦時中は鶴見製鉄造船との合同を実現して今日の発展への道を開いた。京浜工業地帯形成の立役者の一人。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「白石元治郎」の意味・わかりやすい解説

白石元治郎
しらいしもとじろう
(1867―1945)

経営者。新潟県生まれ。1892年(明治25)東京帝国大学英法科を卒業して浅野商店に入り、まもなく浅野総一郎娘婿となった。96年東洋汽船設立とともに支配人となり、浅野を補佐して明治期における同社の発展に尽力した。1912年(明治45)友人の今泉嘉一郎(かいちろう)と日本鋼管を設立して社長となり、日本の民営製鉄業を本格的に発足させた。34年(昭和9)官営八幡(やはた)製鉄と民間製鉄会社の合同による日本製鉄の成立に際しては合同不参加の先頭にたち、以後、民間鉄鋼業界をリードした。40年日本鋼管と鶴見製鉄造船(浅野財閥系列)を合併し、戦後の発展への道を開いた。なお白石は浅野同族の一員として多くの浅野財閥系列企業の役員をも務めた。

[小早川洋一]

『井東憲著『鋼管王白石元治郎』(1938・共盟閣)』『鉄鋼新聞社編『白石元治郎――鉄鋼巨人伝』(1967・工業図書出版)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「白石元治郎」の解説

白石元治郎 しらいし-もとじろう

1867-1945 明治-昭和時代前期の実業家。
慶応3年7月21日生まれ。浅野商店に入社,のち浅野総一郎の娘婿となる。東洋汽船など浅野系企業の要職を歴任し,明治45年今泉嘉一郎らと日本鋼管(NKK)を創立して社長となり,民間鉄鋼業の発展に寄与した。昭和20年12月24日死去。79歳。陸奥(むつ)白河郡(福島県)出身。帝国大学卒。旧姓は前山。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「白石元治郎」の解説

白石 元治郎 (しらいし もとじろう)

生年月日:1867年7月21日
明治時代-昭和時代の実業家
1945年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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