ロシアの小説家。ウクライナの生れ。父はウクライナ人,母はポーランド人であった。ペテルブルグ工科大学,モスクワの農林学アカデミーに学んだが,そのころからナロードニキ運動に加わり,放校処分を受けた。その後鉱山専門学校に籍をおいたが,1879年に逮捕,追放され,最終的にはシベリアのヤクート地方に流刑となった(1881)。その間に靴職人として働いたりしながら,《マカールの夢》を書いた(公刊は1885)。70年代末から,ものは書き始めていたが,85年にニジニ・ノブゴロドに移住してから,作家としての名声を確立,《悪い仲間》(1885),《盲音楽師》(1886)等,主として故郷やシベリアの下層民を扱った作品が書かれる。96年にペテルブルグ居住を許され,ナロードニキの雑誌《ロシアの富》の編集にあたり,時事的な数多くの社会評論を執筆した。1900年からポルタワに移住,05年から16年にわたって書きつがれた自伝的回想《わが同時代人の物語》(1922)は,故郷における幼少年時代やシベリアの生活を描いて,時代とさまざまな人間像を浮かびあがらせ,ロシアの根本的な問題への深い洞察を示す。総じてコロレンコの作品は,抒情的ではあるが,ユーモアに満ちていて明るい。しかも,歴史的・社会的な背景の中で複雑な人間の陰影をとらえる透徹したまなざしは,きわめて現代的と言える。革命の際には,ボリシェビキ批判の立場をとった。
執筆者:小平 武
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ロシアの小説家。ウクライナの官吏の子で、母はポーランド人。思想的には後期ナロードニキに属する作家で、貧困、投獄、放浪などの苦しい生活体験にもかかわらず、その人生観は楽天主義に貫かれていて、つねに未来への明るい希望を失わなかった。シベリアの流刑地に取材した作品が多く、『マカールの夢』(1885)で文壇に知られた。これは、貧農マカールが夢の中の天国で裁かれ、善行を積めなかった理由として貧困と過労が主によって認められるというもの。また『盲音楽師』(1886)でも、盲目の一少年が優れたピアニストに成長する過程が描かれていて、ともに、いかなる逆境にたっても不屈の精神をもって未来を切り開いていく作者の楽天主義が浸透している。しかし、コロレンコのオプティミズムは、けっして彼の作品に登場する下層社会人たちの否定面を黙過することを意味するものではなかった。文学史的にはチェーホフとゴーリキーとの中間に位する作家であり、ほかに『悪い仲間』(1885)、『森はざわめく』(1886)、『鷹(たか)の島脱獄囚』(1885)などがある。
[中村 融]
『中村融訳『悪い仲間・マカールの夢他』『盲音楽師』(岩波文庫)』
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