日本鋼管(読み)にっぽんこうかん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「日本鋼管」の意味・わかりやすい解説

日本鋼管
にっぽんこうかん

大手製鉄会社の旧名称。通称NKK。1912年(明治45)白石元治郎(しらいしもとじろう)が日本最初の鋼管製造会社として創立、民間鉄鋼業の先駆的役割を果たした。1934年(昭和9)の日本製鉄設立に参加せずアウトサイダーとして社業の発展を図り、多数の鋼管会社を合併するとともに、1936年には宿願扇町(おうぎちょう)工場(神奈川県)の高炉を完成させた。1940年、浅野系の鶴見(つるみ)製鉄造船を合併し造船部門にも進出、鉄鋼、重工、造船3部門による総合的多角経営の基盤を確立した。第二次世界大戦後は、新鋭の福山製鉄所(広島県)の建設(1966年第一高炉火入れ)と京浜製鉄所の合理化(扇島地区での新工場建設)に力を入れ、新日本製鉄(現、日本製鉄)に次ぐ業界第2位の地位をもっていた。造船部門では三重県津市に津造船所を設立した(1969年第一船起工)。関係会社は鋼管鉱業など。不動産や電子関連にも事業展開した。2002年(平成14)9月、川崎製鉄との経営統合により持株会社JFEホールディングスを発足させた。また、同年10月に日本鋼管、日立造船両社の造船事業を統合し、ユニバーサル造船(現、ジャパンマリンユナイテッド)を設立した。2003年4月にJFEホールディングスは子会社の日本鋼管と川崎製鉄、および両社のグループ会社をJFEスチール、JFEエンジニアリング、JFE都市開発、川崎マイクロエレクトロニクス、JFE技研の五つの中核会社に再編した。統合前の2002年3月決算時の日本鋼管の資本金2337億円、売上高9555億円。京浜、福山などに工場をもっていた。

[橘川武郎]

『日本鋼管株式会社編・刊『七十年史』(1982)』『長島修著『日本戦時企業論序説――日本鋼管の場合』(2000・日本経済評論社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「日本鋼管」の意味・わかりやすい解説

日本鋼管[株] (にほんこうかん)

日本の大手銑鋼一貫メーカー。正称は〈にっぽんこうかん〉。略称NKK。広島県の福山と神奈川県の京浜(扇島)に大型製鉄所をもつ。造船会社としても大手であり,また機械製造の重工部門のウェイトもかなり大きい。もともとは鋼管類が中心であるが,造船向けの鋼板類の生産も強い。

 1912年,浅野財閥および財界の支援を受けた白石元治郎(浅野財閥の娘婿)と今泉嘉一郎八幡製鉄技師)により鋼管メーカーとして川崎に設立された。その後36年に高炉を完成し,民間では初めての一貫メーカーになった。また41年に隣接の鶴見製鉄造船を合併して造船兼営となった。第2次大戦後,八幡製鉄,富士製鉄に次ぐ第3位の鉄鋼メーカーとして再出発したが,川崎製鉄,住友金属工業の後発高炉メーカーに追い上げられた。このため63年福山に進出,大型製鉄所を建設し,続いて68年,川崎,鶴見,水江の3製鉄所を統合して京浜製鉄所とした。その後,同製鉄所の沖合の海に人工島(扇島)をつくり,そこに設備を一新した新鋭大型製鉄所を建設した。79年に完成したこの京浜(扇島)製鉄所は,約1兆円の費用をかけた海に浮かぶ製鉄所として有名。資本金2337億円(2001年5月),売上高1兆0102億円(2001年3月期)。2002年9月,川崎製鉄と経営統合し,持株会社JFEホールディングスを設立した。
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百科事典マイペディア 「日本鋼管」の意味・わかりやすい解説

日本鋼管[株]【にほんこうかん】

通称NKK。1912年鋼管製造を目的に設立,のち高炉・転炉を建設して日本製鉄に次ぐ銑鋼一貫会社となった。京浜,福山,鶴見,清水,津に工場をもち,粗鋼生産高は新日本製鐵に次ぎ第2位。高炉大手5社のなかで唯一の重工業部門を兼営。本社東京。2001年資本金2337億円,2001年3月期売上高1兆102億円。2002年9月,川崎製鉄と経営統合し,持株会社JFEホールディングスを設立。
→関連項目浅野財閥今泉嘉一郎JFEホールディングス[株]トーア・スチール[株]日本セメント[株]松平康隆

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「日本鋼管」の意味・わかりやすい解説

日本鋼管
にっぽんこうかん

1912年創立の大手鉄鋼メーカー。 1919年電気製鉄,1933年第二鋼管,1935年川崎コークス,昭和鋼管,1937年第三鋼管,1940年鶴見製鉄造船,1944年川崎窯業をそれぞれ合併して,日本の代表的重工業会社に発展した。 1963年福山製鉄所の建設に着手,1971年4期工事を完了,世界最大の単一製鉄所を完成した。これに伴い世界有数の鉄鋼メーカーとなった。 1988年に NKKを呼称とする。 1990年代後半,分社化を進め,福山,京浜の2高炉体制となった。 2002年9月,株式移転により川崎製鉄と経営統合,2社の完全親会社としてジェイエフイーホールディングス (JFEホールディングス) 設立。翌 2003年4月事業再編が行なわれ,日本鋼管はエンジニアリング部門を継承して JFEエンジニアリングに社名変更した。

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世界大百科事典(旧版)内の日本鋼管の言及

【浅野財閥】より

…44年清算所得で株式会社浅野本社(資本金1500万円)を新設し,浅野一族の投資による証券保有会社にした。第2次大戦後の46年持株会社の指定を受け解散を命ぜられた時点で,本社の直系会社のうち資本金100万円以上が10社あり,日本鋼管,小倉製鋼(旧浅野重工業),日本セメント(旧浅野セメント),関東電気工業の4社が代表企業であった。とくに日本鋼管は日本製鉄に次ぐ大手で,造船業兼営の独特な経営で著名であり,また浅野財閥でもっとも創業の古い日本セメントも依然として業界の王座に君臨し,この両社の存在が大きかった。…

【今泉嘉一郎】より

…1901年火入れ時より製鋼部長として活躍したが,民間鉄鋼業の創設の必要を説き,退職。12年日本鋼管を創立し,みずから技師長となり,継目なし鋼管技術の開発,トーマス製鋼法の利用,転炉技術の研究など鉄鋼技術史上重要な業績を残している。20年衆議院議員となり,製鉄事業の発展を促進。…

※「日本鋼管」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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