日本歴史地名大系 「枝吉村」の解説 枝吉村えだよしむら 新潟県:南魚沼郡塩沢町枝吉村[現在地名]塩沢町枝吉早川(はやかわ)村の東。北は三郎丸(さぶろうまる)村、東は雲洞(うんとう)村、南は長崎(ながさき)村。集落は登(のぼり)川と並行して北流する高棚(こうたな)川沿いにある。明応七年(一四九八)の開発と伝える(南魚沼郡誌)。年不詳の上葺萱注文(雲洞庵文書)には雲洞(うんとう)庵の上葺萱を供出する地に「千五百把 枝吉名 尻高」とみえる。正保国絵図では高三六〇石余。 枝吉村えだよしむら 佐賀県:佐賀市川副上郷枝吉村[現在地名]佐賀市北川副町(きたかわそえまち)大字木原(きはら)字枝吉川副上郷に属する郷宿。下今宿(しもいましゆく)から佐賀江と平行に走る蓮池(はすのいけ)往還の城下への出入口に位置し、枝吉口には番所が設けられていた。天正一二年(一五八四)に筑後出身の豪族田尻鑑種は巨勢(こせ)郷などを中心に二〇〇町の知行地を得たが、その田尻鑑種給地坪付に枝吉分として「徳田五町六反八畝廿五歩 徳屋敷壱反九畝廿歩 作田壱町二反二畝廿三歩」の記事がある(田尻家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報