柴田音吉(読み)シバタ オトキチ

20世紀日本人名事典 「柴田音吉」の解説

柴田 音吉(2代目)
シバタ オトキチ

大正・昭和期の実業家 神戸日仏協会会長。



生年
明治19(1886)年2月

没年
昭和9(1934)年4月9日

出身地
兵庫県

旧姓(旧名)
畠山

学歴〔年〕
東京外国語学校(現・東京外国語大学)仏語科〔明治39年〕卒

経歴
農商務省の海外実業訓練生としてフランスに派遣され、ルーべー市国立工芸学校織物科に学び毛織物研究、大正元年帰国。2年先代柴田音吉の養子となり、家業洋服店従事、業務を拡張して合名会社とし自ら代表社員となった。更に羅紗部を創設して毛織物の輸入を始め、英国ロンドンに仕入部を置くなど、ついに関西屈指の大店舗に発展させた。13年から長らく神戸商工会議所議員を務め、また神戸日仏協会会長として内外人の融和親善に尽くしフランス政府より勲章授与パラグアイ共和国名誉領事なども務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「柴田音吉」の解説

柴田音吉(2代) しばた-おときち

1886-1934 大正-昭和時代前期の実業家。
明治19年2月生まれ。農商務省の海外実業練習生としてフランスで毛織物を研究。大正2年先代柴田音吉の養子となり,毛織物の輸入をはじめ,家業の洋服店を拡張させる。神戸日仏協会会長などをつとめた。昭和9年4月9日死去。49歳。兵庫県出身。東京外国語学校(現東京外大)卒。旧姓は畠山。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android