朝日日本歴史人物事典 「柴野碧海」の解説
柴野碧海
生年:安永2(1773)
徳島藩の儒学者。柴野栗山の養子。名は允升,字は応登,吉甫,通称平次郎。号碧海。柴野栗山の弟貞穀の長男で,京都で栗山に学び,その養子となった。天明8(1788)年栗山が江戸幕府に登用されると,その跡を継いで徳島藩に仕えた。引き続き江戸で栗山らに学び,西国遊歴ののち,享和1(1801)年国許に移り,以後藩の学問所で教授しつつ藩主一族の侍講を務め,しばしば江戸藩邸にも勤務している。詩文に秀で,『枕上集』10巻が現存する。<参考文献>竹治貞夫「柴野碧海と枕上集」(『徳島大学学芸紀要 人文科学』26号),「柴野碧海の享年と東役」(同27号)
(梅澤秀夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報