柴野碧海(読み)しばの・へきかい

朝日日本歴史人物事典 「柴野碧海」の解説

柴野碧海

没年:天保6.7.16(1835.8.10)
生年:安永2(1773)
徳島藩の儒学者。柴野栗山養子。名は允升,字は応登,吉甫,通称平次郎。号碧海。柴野栗山の弟貞穀の長男で,京都で栗山に学び,その養子となった。天明8(1788)年栗山が江戸幕府に登用されると,その跡を継いで徳島藩に仕えた。引き続き江戸で栗山らに学び,西国遊歴ののち,享和1(1801)年国許に移り,以後藩の学問所で教授しつつ藩主一族の侍講を務め,しばしば江戸藩邸にも勤務している。詩文に秀で,『枕上集』10巻が現存する。<参考文献>竹治貞夫「柴野碧海と枕上集」(『徳島大学学芸紀要 人文科学』26号),「柴野碧海の享年と東役」(同27号)

(梅澤秀夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「柴野碧海」の解説

柴野碧海 しばの-へきかい

1773-1835 江戸時代後期の儒者。
安永2年生まれ。柴野貞穀(ていこく)の長男。弟方閑(ほうかん)とともに伯父柴野栗山(りつざん)にそだてられる。栗山が幕府儒官となったのち,あとをつぎ阿波(あわ)徳島藩の儒官となる。長崎遊学ののち,徳島藩校の寺島学問所でおしえた。天保(てんぽう)6年7月16日死去。63歳。讃岐(さぬき)(香川県)出身。名は允升(さねのり)。字(あざな)は応登。通称は平次郎。著作に「枕上集」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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