柿ヶ谷村(読み)かきがやむら

日本歴史地名大系 「柿ヶ谷村」の解説

柿ヶ谷村
かきがやむら

[現在地名]榛原町勝間かつま

おお村の北西に位置し、勝間田かつまた川の中流左岸に立地する。西は同川を隔てて上庄内かみしようない村。天文五年(一五三六)一一月三日の今川義元判物写(土佐国蠧簡集残篇)に「勝田内柿谷」とある(→勝田・勝間田。文禄二年(一五九三)の榛原郡勝間田之内柿ヶ谷村御検地水帳(山本家文書)が残る。文禄二年検地高目録には「かけかや村」とみえ、高二一六石余。正保郷帳では田方一八五石余・畑方二九石余、幕府領、ほかに曹洞宗保善ほうぜん(保全)(現廃寺)領七斗・白山権現(現白山神社)領一石がある。国立史料館本元禄郷帳でも幕府領。享保郷村高帳では旗本城領。城領はまもなく上知されたようで(寛政重修諸家譜)、寛延二年(一七四九)相良藩領となるが(同四年本多忠央領知目録)、天明七年(一七八七)までに幕府領となったとみられ、寛政六年(一七九四)三卿の一橋領となる(同年一橋家領郷村高帳写)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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