日本歴史地名大系 「栗屋城跡」の解説
栗屋城跡
くりやじようあと
鎌倉時代には島津豊後守忠久が、南北朝時代には新田義貞が拠城したと伝える。「太平記」巻三九(諸大名讒道朝事付道誉大原野花会事)に貞治四年(一三六五)八月(正しくは貞治五年)「道朝、二宮ヲ待付テ、越前ヘ下著シ、軈テ我身ハ杣山ノ城ニ籠リ、子息治部大輔義将ヲ栗屋ノ城ニ籠テ、北国ヲ打随ヘント被議ケル間」と記され、失脚した越前守護斯波高経(入道道朝)の一族が越前に下国し、その子義将が当城に拠城している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報