栗崎道有(読み)くりさき・どうう

朝日日本歴史人物事典 「栗崎道有」の解説

栗崎道有(2代)

没年享保11.10.20(1726.11.13)
生年万治3(1660)
江戸中期の外科医。名は正羽,字は道仙。父正家(初代道有)は正元(初代道喜)の4男で,長崎系栗崎流の医家。伯父・正勝(2代道喜)の高弟鳥飼道節について栗崎流外科を全うし,幕府に召されて官医となる。道有を襲名,以後子孫は代々この名を襲名し,栗崎流は楢林,吉雄の両家と共に長崎外科の三家と称された。元禄14(1701)年吉良義央の殿中刃傷事件の際,応急手当てをしたことで知られる。江戸で没し,牛込・万昌院に葬られた。<参考文献>「山脇系譜」(『高浜町誌資料』6号)

(宗田一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「栗崎道有」の解説

栗崎道有 くりさき-どうゆう

1660-1726 江戸時代前期-中期の医師。
万治(まんじ)3年生まれ。初代栗崎道喜の孫。祖父以来の栗崎流南蛮外科をつぐ。幕府の医官となり,江戸参府のオランダ人医師と意見をかわす。元禄(げんろく)14年(1701)吉良義央(よしなか)が殿中でうけた刀傷を治療した。享保(きょうほう)11年10月20日死去。67歳。肥前長崎出身。名は正羽(まさゆき)。字(あざな)は道仙。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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