栗栖庄(読み)くるすのしよう

日本歴史地名大系 「栗栖庄」の解説

栗栖庄
くるすのしよう

紀ノ川南岸の現栗栖が荘域にあたると考えられる。保延四年(一一三八)三月二五日付藤原公能寄進状(粉河寺御池坊文書)に「応寄栗栖庄於粉河寺、以件地利、限永代於大悲前、毎日修三時供養法、并於丹生社奉読大般若経事」とあり、徳大寺公能が栗栖庄を粉河こかわ(現那賀郡粉河町)に寄進している。さらに久安二年(一一四六)四月二九日付鳥羽院庁下文写(同文書)で不輸の荘園とされており、四至に「東限湯橋村西堺御園中道并子午縄」「南限黒鳥池并大路」「西限有真永沼東境并子午縄」「北限大河并古河」と記される。


栗栖庄
くるすのしよう

和名抄」記載の揖保郡栗栖郷の郷名を継承する中世の庄園で、現新宮町西部、栗栖くりす川の流域に比定される。東は香山こうやま保、南東越部こしべ庄に接する。嘉元四年(一三〇六)六月一二日の昭慶門院領目録案(竹内文平氏旧蔵文書)安楽寿あんらくじゆ(現京都市伏見区)領庄園として栗栖庄とみえ、北白川姫君が何らかの権利を有していた。安楽寿院領を含む八条院領は大覚寺統に伝領され、正平六年(一三五一)三月一四日の後村上天皇綸旨(熊野速玉神社文書)によると、栗栖庄地頭職が熊野新宮(現和歌山県新宮市)に寄進されている。しかし文和三年(一三五四)には坂本さかもと(現姫路市)から栗栖庄へ兵粮米が運搬されており(同四年三月二六日「矢野庄公田方年貢等散用状」教王護国寺文書)城山きのやま城の北にあって美作道の通る栗栖庄は播磨守護赤松氏の制圧下に置かれたであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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