日本歴史地名大系 「栗栖村」の解説
栗栖村
くるすむら
栗栖村
くりすむら
慶長六年(一六〇一)の検地で畝数一三町五反余・高一三一石余となる(国郡志下調書出帳)。元和五年(一六一九)の安芸国知行帳は「くるす村」と記す。広島藩領で、家老上田家給知。文化三年(一八〇六)の「佐伯郡廿ケ村郷邑記」に「土地中、作地狭、上ミ栗栖日受吉、下栗栖日蔭北請也、(中略)産物産業、第一炭焼木挽枌師也、寛政五年より他売他業ヲ禁ス、丸炭・中炭・はり満炭・かき炭・雑木炭・諸板・榑・松枌等ヲ出ス」とある。
栗栖村
くりすむら
栗栖村
くるすむら
栗栖村
くるすむら
栗栖村
くりすむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報