日本歴史地名大系 「栗谷」の解説
栗谷
くりたに
安政六年(一八五九)の城下絵図および文久元年(一八六一)の分限帳(県立図書館蔵)により武家屋敷住人と年齢をみると、門外の山手側には山崎左馬允(八〇〇石、文久元年三四歳)、在方長役佐野増蔵(三〇〇石、同年五二歳)、鱸郷右衛門(四〇〇石、同年五九歳)、山本玄蕃(一千二〇〇石、同年二七歳)の屋敷が惣堀と栗谷川の間にある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
安政六年(一八五九)の城下絵図および文久元年(一八六一)の分限帳(県立図書館蔵)により武家屋敷住人と年齢をみると、門外の山手側には山崎左馬允(八〇〇石、文久元年三四歳)、在方長役佐野増蔵(三〇〇石、同年五二歳)、鱸郷右衛門(四〇〇石、同年五九歳)、山本玄蕃(一千二〇〇石、同年二七歳)の屋敷が惣堀と栗谷川の間にある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...