桃原
とーばる
本部半島の北西部一帯の石灰岩台地を桃原(桃原平原)とよんでいる。一八世紀以降、謝花村内の桃原に首里・那覇・久米村(現那覇市)などの士族が寄留、開拓集落(屋取集落)として発達した。その後、謝花地区以外の荒蕪地にも進出・開拓し、一九四一年(昭和一六年)にこれらの開拓地は浜元と浦崎の一部で山川区、浦崎と謝花の一部で豊原区、浦崎と謝花と備瀬の一部で石川区、具志堅と謝花にまたがる読座原で北里区とした(本部町史)。
桃原
とうばる
[現在地名]北谷町桃原・吉原
桑江地区の東、東シナ海を望む石灰岩台地縁辺の平坦地にある。もとは桑江村と伝道村にまたがって成立した屋取集落で、トーバルとよばれる。一九世紀半ば頃に寄留したという(北谷村誌)。屋取構成員は易氏津嘉山家・易氏上与那原家・全氏岸本家・明氏亀谷家などの士族が中心(北谷町史)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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