結い上げたり結んだりせず短く切ったままの髪をいう。日本では男女ともに古くから結髪の風習があり,平安時代の垂髪にしても長いままの髪で,短く切ることはなかった。〈髪をおろす〉という言葉や,髪を切るといわず断つというのは,男女ともに俗世との縁を断つことであった。断髪の風習は西洋風俗に触れた幕末以降で,1871年(明治4)の〈断髪脱刀勝手令〉でいわゆる丁髷(ちよんまげ)から断髪にする者が多くなり,散切(ざんぎり)頭と呼ばれ文明開化の象徴となった。女性の断髪は,ヨーロッパで第1次世界大戦の従軍看護婦が衛生上断髪したことに始まり,やがて一般女性に広まった。日本では大正末期に一部の女性が断髪を始めたが,洋装が定着しないこともあり流行しなかった。しかし昭和に入ってスカート丈も短くなり洋装が普及すると,軽快な断髪が若い女性に受けた。美容界でも技術がすすみ,顔の形や背丈に合わせたスタイルが種々考えられた。なかでも男性と同じように後頭部を刈り上げた髪形をシングルカットと呼び,昭和初期のモダン・ガールの風俗として一部にではあるが流行した。
→髪形
執筆者:橋本 澄子
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大正から昭和初期にかけて、男女間に流行したおかっぱの髪形。とくに女性でも職業婦人の間に普及した。わが国の日本髪は、西洋文化を取り入れてから、生活一般にわたっていろいろの変化をもたらし、とくに女性の間では衣服改良、結髪改良の波が押し寄せ、封建社会的な日常生活に新風を巻き起こした。それが第一次世界大戦での女子の従軍などから欧米でも従来の髪形が問題となり、断髪の発生となった。ことに戦後、生活合理化運動がおこって、軽快な断髪運動が普及し、それがわが国にも波及して、洋装に断髪姿が取り入れられた。ことに近代的女性をモダン・ガールと称し、これをもじって毛断嬢といったりした。東京では銀座を中心とするダンサー、女給たちの間から広がり、昭和初期から働く女性の髪形となり、一般家庭では子供たちにも広がった。断髪にも後ろを刈り上げたり、周囲を平均に剃(そ)り上げたりした形もある。また男子の間でも画家、画学生、芸能人たちに用いられた。
[遠藤 武]
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…その方法としては歯を抜く(ポリネシア,中国のケラオ族),指を切り落とす(ニューギニア,メラネシア,ポリネシア)などの例もあるが,世界的に広く分布しているのは,顔や身体に傷をつけることや,髪を切ることであって,ユーラシア,アメリカ,アフリカ,オセアニアに広がっていた。断髪は一般的に言って傷身の緩和された形式と言えよう。哀悼傷身はユーラシアとポリネシアでは王侯や夫の死に際し,臣下や妻が行い,殉死の代用的な性格が強いが,南アメリカでは階級分化のみられない未開農耕民や狩猟民が行っていて,浄めの機能をもつといわれる。…
…江戸時代の切禿(きりかむろ),それ以前の〈めざし〉〈わらわ〉など幼女向きの髪形の変形で,これらよりさらに短くしたものである。おとなのお河童は断髪といわれ,第1次大戦中~戦後と欧米で流行した。それが昭和初期に日本の若い女性の間にとりいれられ,〈モダンガール〉の誕生をみた。…
※「断髪」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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