大隅国分寺跡(読み)おおすみこくぶんじあと

国指定史跡ガイドの解説

おおすみこくぶんじあと【大隅国分寺跡】


鹿児島県霧島市国分中央にある寺院跡。指定名称は「大隅国分寺跡 附宮田ヶ岡瓦窯跡(つけたりみやたがおかかわらかまあと)」。大隅国分寺跡は、霧島市街地の東端、国分小学校の西に所在する。741年(天平13)の聖武天皇の詔(みことのり)によって建てられた大隅国の国分寺跡。創建は奈良時代末期の8世紀末と推定され、史跡地内には、「康治元年(1142)壬戌11月6日」の銘がある高さ約5mの石造六重層塔1基と2体の仁王像、観音像の願文のある石塔などが残っており、1921年(大正10)に国の史跡に指定され、2004年(平成16)には、姶良(あいら)市船津の宮田ヶ岡瓦窯跡が、大隅国分寺の瓦を作製した窯として追加指定を受けた。国分寺は早くに衰微し、いくどか再建されたものの元禄年間(1688~1704年)の再建が最後で、明治初年の廃仏毀釈(きしゃく)で廃寺となった。創建当時のものと思われる瓦が出土しているが、建物や寺域、伽藍(がらん)配置などの詳細は不明である。宮田ヶ岡瓦窯跡は、別府川河口から約5km上流の位置にあり、右岸の台地から延びた丘陵を刳()り抜いて築かれている。窯は3基が確認され、そのうちの第3号窯跡は全長約6.34mの地下式登り窯で、床面には窯詰め用の段が瓦で築かれ、窯詰めされた状態の瓦も3ヵ所で確認された。出土した瓦は2万点を超え、鬼瓦や鴟尾(しび)はなく、軒丸瓦(のきまるがわら)・軒平瓦・丸瓦・熨斗瓦(のしがわら)などで、軒丸瓦の文様が大隅国分寺跡出土のものと一致することから、国分寺の瓦窯であることが判明した。国分寺から西へ約15km離れているが、瓦は別府川を船で運ばれたと推定される。大隅国分寺跡へは、JR日豊本線国分駅から徒歩約12分。宮田ヶ岡瓦窯跡へは、JR日豊本線錦江駅から車で約21分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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