桜之町(読み)さくらのちよう

日本歴史地名大系 「桜之町」の解説

桜之町
さくらのちよう

[現在地名]堺市桜之さくらのひがし一丁・桜之さくらの西にし一丁

綾之あやの町の北にある大道を挟む両側町。永禄一二年(一五六九)八月二三日今井宗久が被官鋳物師源左衛門について金田かなた寺内中に宛てた書状(「今井宗久書札留」今井文書)に「於桜町吹屋立置候」とあり、当町近辺に鉄砲製造の吹屋のあったことが知られる。元禄二年(一六八九)堺大絵図には「桜町」とあり、東頬一〇筆・西頬九筆の宅地町並を構成。町会所は東頬中央に所在。所属町組は湯屋ゆや町に同じ。寛政一一年(一七九九)の家数二九、石銀高四一九匁余、家役四二(うち無役二)年寄は山口五兵衛(堺市史)

桜之町
さくらのちよう

中京区新京極通三条下ル

東西に通る三条さんじよう通の一町南に位置し、西側を寺町てらまち(旧東京極大路)、中央やや西寄りを新京極しんきようごく通が通る。

建久八年(一一九七)三月一二日付の秦貞元家地売券案(尊経閣所蔵文書)によると、六角京極の「京極ヨリ東、六角ヨリ北、京極面也」の「口南北弐丈伍尺、奥東西拾丈壱尺」の地が、秦貞元なる人物から宇四郎なる者に米二〇石で売却されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報