桜井石門(読み)さくらい せきもん

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「桜井石門」の解説

桜井石門 さくらい-せきもん

1799-1851* 江戸時代後期の儒者
寛政11年5月18日生まれ。但馬(たじま)(兵庫県)出石(いずし)藩儒者桜井東門の長男藩主侍講,藩校弘道館の督学をつとめる。仙石騒動後の政争で藩をはなれたが,幕府後押しによる天保(てんぽう)14年の政変でもどり,弘道館教授役兼勘定奉行頭取となった。嘉永(かえい)3年12月18日死去。52歳。名は茁(いずる)。字(あざな)は伯蘭。通称一太郎。著作に「尚書学断」「石門集」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

機械メーカー。トヨタグループの総本家で,繊維機械のほかトヨタ自動車からの小型商用車の受託生産,エンジンその他の自動車部品,フォークリフトなどの産業用車両の生産も行なう。1926年豊田佐吉が,みずから発...

豊田自動織機の用語解説を読む