桴海村
ふかいむら
荒川を境に中筋村の東に位置し、東は吹通川流域に及ぶ逆L字型の村域をなす。北は東シナ海に面し、中央部に浦底湾がある。南は桴海於茂登岳(四七七・四メートル)・ホーラ岳(三四一・八メートル)など於茂登山系の二〇〇―四〇〇メートル級の山々が連なる。桴海於茂登岳北麓に米原のヤエヤマヤシ群落、同岳に発する荒川上流域にカンヒザクラの自生地があり、ともに国の天然記念物に指定されている。山が海岸近くまで迫るため平地は沿岸部に限られる。
両島絵図帳に「ふかい村」とみえ、高四六石余、川平間切のうち。八重山島年来記によると、集落はもと山原と新川(荒川)の間の「ふかい」にあったが、万暦四七年(一六一九)大田兼久に移転した。しかし同地が大波で流されたため天啓五年(一六二五)に大原に再移転したという。大原は佐久田川とその西の大田川の間にある台地の称で、太平洋戦争中まで同所に集落があった。なおヤマバレー川と荒川の間にはヤマバレー遺跡、現富野集落北方海岸には大田兼久遺跡がある。「琉球国由来記」に当村の御嶽としてイテホタ御嶽・ネハラ御嶽とともに野城御嶽と半嵩御嶽がみえる。野城御嶽は野底村にあり、半嵩御嶽は雍正七年(一七二九)に桴海から伊原間へ移されているが(八重山島年来記)、もとは両島絵図帳に「はんたけはま」「はんたけ入江」と記される船越付近にあったとみられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 