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梁川紅蘭 やながわ こうらん

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美術人名辞典の解説

梁川紅蘭

画家。名は景婉、字道華、号紅蘭亭。星巌の室。自ら張氏と称す。美濃の人。聡明にして詩文をよくし、中林竹洞に画を学んで山水花弁をよくした。常に星巌に随って諸国の山川の勝を探り一対の好夫婦と賛えられた。頼三樹三郎等の志士が出入したため幕吏の疑うところとなり安政の大獄には星巌は己に歿していたものゝ紅蘭は投獄されたが遂に正義をつらぬき許された。明治12年(1879)歿、76才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

梁川紅蘭 やながわ-こうらん

1804-1879 江戸後期-明治時代の漢詩人。
文化元年3月15日生まれ。梁川星巌(せいがん)の妻。夫婦で諸国をめぐり詩作にはげむ。のち尊攘(そんじょう)運動にかかわり,安政の大獄で半年間投獄された。画にもすぐれ,「群蝶図」が知られる。明治12年3月29日死去。76歳。美濃(みの)(岐阜県)出身。本姓は稲津。名は景。別号に張景婉(ちょう-けいえん)。詩集に「紅蘭小集」。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

梁川紅蘭

没年:明治12.3(1879)
生年:文化1.3.15(1804.4.24)
幕末明治期の画家。美濃国安八郡曾根村(岐阜県安八郡)に,稲津長好の娘として生まれる。14歳のとき,江戸遊学から帰郷した詩人梁川星巌について詩文を学び,17歳で星巌と結婚。中林竹洞に画を学ぶと伝えられるが確証はない。遺作の「群蝶図」(個人蔵)などをみると,緻密な彩色による写生図譜を写したような作風を示しており,江馬細香のように四君子図や南画風山水図にとどまらない自在な画風が想像される。その作品の多くに夫の賛がある。夫と共に諸国を漫遊し,安政の大獄(1858)で捕らえられる直前に夫が病死したため夫の身代わりに投獄される。出牢後は京都に出て私塾を開き余生を送った。

(安村敏信)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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