梅之木町
うめのきちよう
南北に通る新烏丸通に西面する片側町。
元禄四年(一六九一)京大絵図によれば、寂光寺・妙伝寺の寺域内にあたり、宝永五年(一七〇八)の大火以後、町地となった(坊目誌)。町名は、正徳五年(一七一五)「都すゞめ案内者」の絵図に、現北隣の東椹木町の南を含めて「梅ノ木町」とあり、宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」には、現町域辺りに「梅木町」と記す。
梅之木町
うめのきちよう
鴨川の西側に位置し、南北に通る先斗町通に西面する。
町名は、筆描図系では、寛文末洛中洛外大図に「梅木丁」とある。木版図系では、正徳・享保間京大絵図では「シン川原丁」、宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」では「梅木町」、天保二年(一八三一)改正京町絵図細見大成では「梅本丁」と記す。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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