日本歴史地名大系 「先斗町遊郭」の解説 先斗町遊郭ぽんとちようゆうかく 京都市:中京区立誠学区橋下町先斗町遊郭江戸後期の京都における公許の遊里。鴨(かも)川の西側、三条(さんじよう)通一筋南より四条(しじよう)通までの細い道(先斗町通)の両側。橋下(はしした)町・若松(わかまつ)町・梅之木(うめのき)町・松本(まつもと)町・鍋屋(なべや)町・柏屋(かしわや)町辺り。以下「京都府下遊廓由緒」によれば、「寛文十庚戌秋石垣等普請有之延宝二年甲寅二月建家願済相成若松町ニテ初テ五軒建家致シ段々右之続ヲ以建広メ」とあって、寛文一〇年(一六七〇)の鴨川普請後の延宝二年(一六七四)に五軒が建てられて以後発展した。この地が先斗町とよばれるようになった時期は不明であるが、ちょうど人家が鴨川原の片側で先端に位置するところから「先斗」はポルトガル語でポント、英語でポイントにあたることによる呼称と伝える。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by