梅屋勘兵衛 (うめやかんべえ)
歌舞伎囃子方。3世を数える。17世紀半ば(慶安年間)ころ,静岡で宿屋を営業していた梅屋勘兵衛の子孫といわれている。囃子方望月流の傍系。囃子方としての初世,2世は不詳であるが,18世紀後半(明和年間末から安永初期)に森田座に出演していた小鼓打ちの初代梅屋平吉の本名が勘兵衛であるという説がある。3世(1882-1951)は初世梅屋勝次郎の門弟で,前名2世勝次郎。1914年9月より長唄研精会で鼓方として活躍する。20年3世勘兵衛を襲名する。
執筆者:植田 隆之助
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
梅屋 勘兵衛(3代目)
ウメヤ カンベエ
- 職業
- 歌舞伎囃子方
- 本名
- 興津 清三郎
- 別名
- 前名=梅屋 勝次(2代目),梅屋 勝次郎(2代目)
- 生年月日
- 明治15年 11月11日
- 出生地
- 神奈川県 横浜市
- 経歴
- 静岡で歌舞伎囃子方の初代梅屋勝次郎に入門。大正3年長唄研精会に入り、鼓方として主に東京で活躍、6代六合新三郎に師事して故実を学んだ。2代梅屋勝次、2代梅屋勝次郎の名跡を経て、大正9年3代梅屋勘兵衛を襲名。
- 没年月日
- 昭和21年 1月 (1946年)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
梅屋 勘兵衛(3代目)
ウメヤ カンベエ
明治〜昭和期の歌舞伎囃子方
- 生年
- 明治15(1882)年11月11日
- 没年
- 昭和21(1946)年1月
- 出生地
- 神奈川県横浜市
- 本名
- 興津 清三郎
- 別名
- 前名=梅屋 勝次(2代目),梅屋 勝次郎(2代目)
- 経歴
- 静岡で歌舞伎囃子方の初代梅屋勝次郎に入門。大正3年長唄研精会に入り、鼓方として主に東京で活躍、6代六合新三郎に師事して故実を学んだ。2代梅屋勝次、2代梅屋勝次郎の名跡を経て、大正9年3代梅屋勘兵衛を襲名。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
梅屋勘兵衛(3代)
没年:昭和21.1(1946)
生年:明治15.11.11(1882)
明治から昭和にかけての歌舞伎囃子方。本名,興津清三郎。横浜生まれ。初代梅屋勝次郎に静岡で師事。前名2代目勝次,2代目勝次郎。東京で活躍。大正3(1914)年長唄研精会に入り,6代目六合新三郎に故実を学ぶ。9年3代目勘兵衛を襲名。一説に明治15(1882)年11月21日生まれ,昭和26(1951)年没とも。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
梅屋勘兵衛(3代) うめや-かんべえ
1882-1951 明治-昭和時代の歌舞伎囃子(はやし)方。
明治15年11月21日生まれ。初代梅屋勝次郎の門弟。大正3年長唄研精会にはいり鼓方として活躍。また6代六合(ろくごう)新三郎から故実をまなぶ。9年3代勘兵衛を襲名した。昭和26年1月25日死去。68歳。神奈川県出身。本名は興津清三郎。前名は梅屋勝次郎(2代)。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例